疑似科学批判が流行る理由は、明らかである。
社会学的に言うと、現代社会のイデオロギーとして科学が機能しているからである。つまり、科学という言葉だけで人々は思考を媒介とせずにそれが真理であると信じるわけである。このような知識社会学的な社会状況を背景に、科学のイデオロギー効果を利用して人々を騙すのが疑似科学である。それは、虎の威を借りた虚偽知識である。アカデミックな本当の科学の立場からこのような虚偽知識を批判するのが、疑似科学批判をする論客たちなのである。 しかし、科学を絶対視する点においては、疑似科学もそれを批判する者も同じ観察点にいる。この盲点に自覚的な論客は少ない。多くの疑似科学批判論者は、疑似科学批判の背景には、科学が成熟社会=後期近代社会のイデオロギーとして機能しているという社会学的真理があることを理解していない。言い換えれば、自己の理論の前提に盲目なのである。学問的には、このままでは、目くそ鼻くそを笑う域をでない。
タイトル : 流行
mercaさんの疑似科学批判が流行る理由と云うエントリを読んだ。と云うか、やっぱり現状は「流行」と捉えられてしまうのかなぁ。ニセ科学が存在し続ければ、対抗言論としての批判も同じく存在し続けると思うのだけれど。ここ半年程度多少目立っているので、流行り扱いされることもまぁ、あるのだろうけど。 しかし、科学を絶対視する点においては、疑似科学もそれを批判する者も同じ観察点にいる。この盲点に自覚的な論客は少ない。こう云うことを発言したがる方は多いけれど、「ニセ科学批判者による科学の絶対視」みたいな言......more
タイトル : 社会学幻論:ミートホープ社批判が流行る理由
社会学玄論:疑似科学批判が流行る理由をパロってみました。 ミートホープ社批判が流行る理由は、明らかである。 社会学的に言うと、現代社会のイデオロギーとして牛肉100%が機能しているからである。つまり、牛肉100%という言葉だけで人々は味覚を媒介とせずにそれが美味で...more
タイトル : [ニセ科学][懐疑]変な批判・嫌悪感の源
嫌悪感 「ニセ科学批判」の批判と、超常現象否定派の否定行動はどこか似ているところがあるという印象と、嫌悪感を持っていた。 「So-net blog:Chromeplated Rat:流行」というエントリと、そのエントリで言及されている「社会学玄論 : 疑似科学批判が流行る理由」というエン...more 多少強引でも、こういう文章の書き方をすると、多くの人が反応してくれて議論を創発してくれるので、非常に助かります。こういう書き方は、私の師匠から学び取りました。その方を誰か当てて欲しいです。 社会学のイデオロギー論の陥穽=盲点を見抜ける方を期待しています。 はじめて コメントします。法学を勉強している者です。 疑似科学を批判する人の立ち位置が、疑似科学を虚偽だとして批判しているのか、それとも科学的方法でないくせに科学であると偽っていることで批判しているのかによって異なると思います。 論宅さんの議論が成立つのは、前者である場合だけです。後者なら成立ちません。前者の場合ならば、科学だけが真理であるという科学絶対視の立場になります。後者なら、真理かどうかわからないが、科学でないくせに科学だと言っていること批判しているだけになります。疑似科学批判者のブログを多く読んできましたが、疑似科学だから嘘で信用するに足らないという類いが多いので、やはり論宅さんの分析は大体あたっていると思います。これからもがんばって下さい。 はじめまして。コメントが長すぎて投稿できなかったので、いくつかに分けて投稿します。 そのニセ科学批判をテーマとして、最近あちこちで話をすることになってしまってるapjと申します。私の知る限り「科学(=方法論及び既に確立した結果)を自称するが、科学ではない」ものを批判の対象としています(一緒に講演することになった何人かの人達もこの部分では一致していると思います)。私自身は、常に「科学は自然の近似である、正しいかどうかは精度の問題である」と主張しております。 なお、ニセ科学批判がそれなりに好意的に受け止められているのは、詐欺の被害を防ぐとか安全のためという面があると認識しています。「健康な波動を水に転写する装置で作った水を飲めば病気が治る」というニセ科学は、病気のお年寄りが藁をも掴む気持ちにつけこむ悪徳商法と結びついて金銭的被害を発生させています。「酸素と水素とガソリンでクリーンな暖房」は、見せかけだけが科学で技術が伴わなかったため、販売権だけを売るというネットワークビジネス的展開をしているうちはまだよかった(?)のですが、現実の装置のデモをしようとしたとたん、爆発して死亡者が出ました。こんなのはほんの一例でして、ニセ科学にはまる人の職業と地位によっては、もっと広範囲な被害を引き起こす可能性があるものもいくつもあります。 じゃあ、ニセ科学にいっちゃった人が「虎の威を借りてる」かというと必ずしもそうではなく「自分がやっていることが科学だと思っている」状態だったりするんですね。つまり、やってくる情報がなぜか偏っているため単に誤解しているケースも多いのです。 自然現象を記述することについて、科学を越える有効な方法論を人類はまだ見つけていないでしょう。また、科学が有効なのは自然現象の一部を記述し理解することに対してだけであって(∵未科学の部分が相当ある)、それ以外のことを期待されても、何もこたえることはできません。たとえば、道徳やイデオロギーの正しさの根拠を科学に求めてはいけないんですよ。科学だけが真理などという状態には、最初からなりようがないんです。科学が有効な範囲は限られていますので。 ともかく、ニセ科学が広まったことが原因で、現実の危険や被害が発しているという状況なので、正しい知識を持っている人は批判に手を貸してくださいというのが正直なところです。 「自己の理論の前提」を云々しようがしまいが、酸素と水素を混ぜて火をつけりゃ、適切な燃焼装置を使わない限り爆発するわけです。どれくらいの短い時間でそれが起きるのか、どの程度の被害になるか(=エネルギーを発生させるか)といったことが、科学に含まれます。科学とは、こういうことを突き止める方法や、突き止めた結果の積み重ねです。ですから、「生活の知恵」を延長したものが科学なんですね。仮に「今のの科学を絶対視」している人がいて、それをやめることにしたとしても、酸素と水素を混ぜて火を付けりゃ爆発するという自然現象には何の変化も無いでしょうね。 ところで、「科学を絶対視する」立ち位置にいる「多くの疑似科学批判論者」の名前を具体的に挙げていただけませんか?最近の「流行」の中心近くに居るのは、多分私の知っている人達だろうと思うのですが、該当しそうな人が見当たらないんです。 ディアスさん コメントありがとうございます。その観点で少し論じたいことがあるので、別にエントリーを立てます。疑似科学批判がよって立つコードの種類を分析します。単一ではありません。 apjさんもコメントありがとうございます。apjさんの意見には半分賛成です。apjさんのようなコメントを期待していました。カール・ホパーの科学の定義に準拠して、ほとんどの疑似科学批判がなされています。従って、カール・ホパーの科学の定義に準拠している疑似科学批判は、全て「科学を絶対視する」立場に私には見えてしまいます。このことについては、別のエントリーで述べたいと思います。 ところで、カール・ホパーの科学の定義に準拠しない疑似科学批判がありますか、もしそれがあれば、私の意見は全て撤回します。教えて下さい。よろしく御願いします。できれば、それを期待しています。 論宅さん、 で、私の質問に先に答えてはいただけないのでしょうか。 >「科学を絶対視する」立ち位置にいる「多くの疑似科学批判論者」の名前を具体的に挙げていただけませんか? という問いについてですが。エントリーを書かれた時から、当然、具体的な誰かの名前を想定しておられるわけですよね。それをまず教えてください。少なくとも私の周囲では、確かに、ポパーの話「も」紹介するけど、それだけで判定している人は見かけません。 あと、もう一点。 >カール・ホパーの科学の定義に準拠している疑似科学批判は、全て「科学を絶対視する」立場に私には見えてしまいます。 についてです。ポパーの定義を具体的に書いて、なぜそれが「科学を絶対視する」ことになるのか説明してください。それと、論宅さんがおっしゃる「絶対視」とは具体的にどういうことですか。この部分がかみあわなければ、議論を続けてもすれ違いそうなので確認したいのですが。 初めまして。大阪大学の菊池です。 現状認識が僕とはまったく違うようで、なかなか理解しがたいですが、まずは「疑似科学批判をする論客たち」という言葉で誰を指しているのか、実名を挙げて頂けませんか。誰のことを言っているのかがわからないと、雲をつかむような話です。そもそも、実例なしの印象批評は社会学の分野でも「駄目」な議論とされるのではありませんか? ちなみに、少なくとも我々は「ポパーの定義でいい」などとはひとことも言ったことがないはずなので(今どきの擬似科学を語るにはポパーでは不充分である、という話はときどきしていますが)、論宅さんが語っておられるのは我々のことではないのだと思います。しかし、今どきポパーに準拠して擬似科学批判するのは主流ですかね。「ほとんど」がポパー準拠なんですか。それは、僕にはよその世界の話のように思えます。 また、僕とは別の立場ですが、伊勢田哲治さんの本なども読まれた上で「ポパーに準拠しない擬似科学批判はあるか」と書いておられるのでしょうか。伊勢田さんの本を読まずに擬似科学批判批判をするわけにはいかないでしょう。 続き: もちろん、駄目な擬似科学批判はたしかにあります。ポパー頼みの人もいます。駄目な人については「駄目である」と批判しましょう。そのためには実例です。駄目な人批判をするなら、実名でやりましょうよ。実名が挙げられないなら、単なる印象ないし思いこみであって、学問的には目くそや鼻くそそのものだってことです。 擬似科学批判批判の多く(ここでは論宅さんの流儀にしたがって実例なしとします)が、そもそも批判対象である擬似科学批判についても、それが対象とする擬似科学についてもほとんどご存じないまま、単なる印象で語られるようで、がっかりします。 批判対象について知らずに批判できるはずがないというのは僕には常識ですが、この盲点に自覚的な論客は少ないようです 追加です。きくちさんが名乗ったので私も。山形大の天羽=apjです。 私のニセ科学批判の活動は、共同研究先の「水商売ウォッチング」でやってます。で、これがまた騒動の連続なんですよ。 http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wwatch/intro.html 業者からのクレームで大学から公開停止喰らったり、でもってすぐ上のきくちさんのご好意でコンテンツを置かせてもらったり、その後情報公開法がらみで大学を訴えてみたり。 http://atom11.phys.ocha.ac.jp/claims/index.html 大学とは和解して、大学がが規則つくっったんで元に戻りましたけどね。「水商売ウォッチング」のメニューからは、サイトを荒らした別人に対する訴状と判決を公開してます。そうそう、先月ですが、掲示板の書き込みが原因で大学が訴えられちゃいまして、こっちも目下対策中です。どうも、公取の排除命令をウチの活動のせいだと思い込んだ挙げ句の逆ギレ訴訟っぽいんで。 疑似科学批判がアカデミックな立場からやれるとお考えのようですが、実際やってみるとですね、紛争の上に築くもんじゃないかという気がしてくるんですね。少なくともこの社会においては。 apjさんに続けると、擬似科学そのものがすぐれて社会学的な問題のはずなのですね。だから、社会学の人は擬似科学批判批判なんていう「メタ」で「楽ちん」な視点にあぐらをかいていないで、きちんと社会に降りてきて、擬似科学そのものを扱うべきなんですよ。 「現代社会のイデオロギーとして科学が機能しているからである」なんてのは、社会学を専攻してなくたって、誰にでも言えることじゃないですか。 メタな言説は勉強しなくていいから楽なんですよ。そんな楽はせずに、論宅さんの考える「駄目な擬似科学批判」の例を実名を挙げて議論しましょう。 論宅です。沢山のコメントありがとうございます。 要するに、疑似科学批判者も多様であり、本物の疑似科学批判者などいないということであり、みんな我こそが本当の疑似科学批判者なりと言いたいわけでしょうか? 疑似科学批判については、 疑似科学 - Wikipediaや本等で以前から勉強してますし、グーグル検索で一番上に来る有名な疑似科学批判のホームページにもホパーの反証可能性が出ています。疑似科学批判の系譜でホパーとかハインズはかかせないような気がします。他の疑似科学批判ブログも以前、当ブログで紹介しました。やはりホパーが出ています。 全ての疑似科学批判論者を一緒にしないでくれと言うことだと察します。そんなに基準が多様なら相手を疑似と決めたつけるのはよしたほうがいいかもしれません。本物がないわけですから。 私の希望としては、apj さんを本当の疑似科学批判論者だとみなしたいです。科学にホパーの定義は不可欠だと考えてそうだからです。apj さん、ブログをお持ちなら、教えて下さい。読みたいです。 コメントが前後したようです。ホームページを読ませてもらってからコメントしたいです。ありがとうございます。 本音を言うと、疑似科学批判の検証を通して、現代社会でいう科学のなんたるかを知りたかったのです。 補足 科学がどのように人々に語られ、イメージされるのかということです。その際、ホパーなどの科学哲学という科学ならぬ科学論という哲学がどのように利用されるのか、分析したいわけです。 初めまして。 結局の所、論宅さんは、こちらのエントリーを書くにあたって、擬似科学を批判する論者を具体的に想定していなかった、と理解してよろしいのでしょうか? 実名を挙げて批判をなさらないので、そう考えざるを得ません。であれば、疑似科学批判の「流行」りと絡めて論ずるのは、全くおかしいですよね。「疑似科学批判が流行っている」と認識しておきながら、具体的に名を挙げる事も無く、メタな記述を行うだけなのですから。 >疑似科学批判の検証を通して、現代社会でいう科学のなんたるか >を知りたかったのです。 ここで言う、「疑似科学批判の検証」とは、どういう意味でしょうか。 まあ、おそらくそういう的はずれなことしか書けないだろうと思っていましたが、やっぱりだめですね。がっかりです。絵に描いたような「駄目な議論」です。 00:41の返答は(apjさんにか僕にか他のかたにか知りませんが)、「まじめに議論しようとする人」に対しては最悪のやりかたでした。あれだけ威勢よく書いておきながら、結局、ひとつ上のメタレベルにいたまま横に逸れることしかできないというのは残念です。 「世の中はポパーばかりだ。ポパーじゃないのがいたら教えてくれ」と言っておいて、「今どきポパーじゃないよ」と言われると「じゃあ、本物の擬似科学批判などないんだ」というわけで、まさに最強論理なわけですが、さて、ご自身が書かれた「カール・ホパーの科学の定義に準拠しない疑似科学批判がありますか、もしそれがあれば、私の意見は全て撤回します。教えて下さい」はどこへ行ったのでしょう。この発言は「ポパーじゃないのがあれば、撤回」ですから、「本物はない」とかそういう話にはならないはずですね。ポパーじゃないのがあればいいわけです。少なくとも、論理的にはそうですね。 ところが、「ホパーの定義は不可欠だと考えてそう」な人こそが「本当の疑似科学批判論者」とおっしゃる。 「すべて撤回」はどこに行ったんでしょう。まずは「すべて撤回」、話はそれから、というのが筋ですよね。 その程度の論理レベルで「疑似科学批判の検証を通して、現代社会でいう科学のなんたるか」なんてことが議論できるとは思えません。それとも、社会学っていうのはそんなんでいいんでしょうか。 それなら、まだしも自然科学者が社会を考えたほうがましな気がしますが。 とにかく、ポパー頼みで擬似科学批判をしている人の実例を挙げて議論しましょうよ。ここで実例が挙げられないようでは、話はまったく続きません。 それから、伊勢田さんの「科学と擬似科学の哲学」を読むことを強くお薦めしておきます。どうせ読んでないんでしょうから。 ハインズとポパーの名前しか挙がってませんが、ハインズを挙げるなら、ガードナーとかセーガンとかシャーマーとか、重要な本はいくらでもあります。どうせ読んでないでしょうから言いますが、セーガンを読めば、論宅さんの元記事がいかに的はずれなものか、よくわかりますよ。 >疑似科学批判者も多様であり、本物の疑似科学批判者などいないということであり、みんな我こそが本当の疑似科学批判者なりと言いたい 本物かどうかなどにこだわっていません。一体何をもって「本物」とするのかもさっぱりわからないので。私には私のやり方がある、それだけです。 それから、ニセ科学については講義もしていて、その中でポパーも紹介していますけど、ラングミュアの病的科学の判定法とか、ガードナーやセーガンの立てた基準、その他合わせて8人ほどの人達の定義を全部出しています。誰もが満足する科学の定義なんてものは今に至るまで無いし、科学とそうでないものの間にどう線を引くかで合意に達したこともないわけで、いろんな考え方を示して大体このへんじゃないの、とやるしかないんですね。 >そんなに基準が多様なら相手を疑似と決めたつけるのはよしたほうがいいかもしれません。本物がないわけですから。 論理展開が間違っていますよ。基準がいろいろあるというのは、基準の附近に幅があるというだけのことです。基準をどどんな形でどこに置くかという問題で、これについては誰もが合意する決定打がない。ところが、批判の対象になるようなニセ科学というのは、そのたくさんある基準が作っているブレの幅よりもずっとあからさまにニセの側にあるもんだから、どの基準を適用してもニセだと判定できちゃったりするんですね。このへんが、一般論としての基準をどうするかという話と、個別のニセ科学をどう扱うかということの違いなんですよ。 だから、基準がたくさんあるからといってニセかどうかが決まらないなてことはないんですよ。 apj さんの意見だけは、ある程度、了解できました。科学が何だというのは、統一的見解がないというのは。それぞれの基準を実践的に適用しているということですね。理念論でなく、実践学としては疑似批判は納得できそうです。そういう立場で、私には私のやり方がある、と言って頂ければすっきりとします。 ホパーが必要条件でないとわかったら、私の議論は全て撤回します。少し勉強させて下さい。現実的な意見ありがとうございます。 >本音を言うと、疑似科学批判の検証を通して、現代社会でいう科学のなんたるかを知りたかったのです。 じゃあ、私見を1つ。 科学は煙たがられているでしょうね。自然はそんなに人間に都合良くはできていないんだけど(こっちを知るのが科学)、いろいろ経験を積んで、うまくやる方法を見つけてきたわけです(こっちが技術)。技術は人に利益をもたらしますが、科学は人にとって、たとえそれが都合の悪い内容であっても容赦なく真実を突きつけますから。都合のいい話だけを信じて生きていたい人にとっては科学は邪魔でしょうね。まあ、結果としてそういう人が損をすることもありますが、その選択について科学の側からどうこう言うことはできませんね。それは人生観の問題であって、科学が決めることじゃないですから。 思い通りにならない自然の、都合の悪い真実と向き合う心の準備が出来た人にしか、科学は受け入れられないんですよ。ニセ科学の方は、そのへんのニーズを汲み取って願望充足型の展開をするので受け入れられやすいですよね。 僕の意見は理解できないし、スルーされますか。残念です。だめですね。 いずれにしても、批判対象について勉強せずに批判しようとしたという論宅さんの軽率さは批判を免れないですね。 もっと勉強して、「意味のある」批判を書いてくださることを期待します。現時点では、具体例を欠く単なる「気分」であり「印象批評」であって、現実にはまったく即していない「批判ごっこ」であるとしか言えません。 批判の批判の批判なんてくだらなすぎますが、しょうがないです。 つづき: ところで、「ポパーが必要条件ではないとわかったら」といつの間にかご自分が説を「撤回」するための条件を変更しておられますね。 最初は「カール・ホパーの科学の定義に準拠して、ほとんどの疑似科学批判がなされています」でしたよね。こう書かれた段階で「準拠」というのは必要条件とイコールではなかったはずです。準拠って「よりどころとする」ってことですよね。常識的な言葉の使い方では、「反証可能性の有無を科学と擬似科学を見分けるcriterionとする」という意味でしょう。 「カール・ホパーの科学の定義に準拠しない疑似科学批判がありますか」に対して僕は「ポパーでは不充分である」と書きました。僕たちは「反証可能なニセ科学」の例を挙げることがよくあります。つまり、科学か疑似科学かを区別するcriterionとして、我々はポパーに準拠していないわけです。しかし、もちろん全否定しているというわけではない。ポパーに言及せずにこの問題が語れると考えているわけでもない。 つづき(ひとコメントで書ける量が少ないですね): これはポパーを必要条件としていることになるのでしょうか、ならないのでしょうか。よくよく考えてみると、「ポパーが必要条件」という言葉の意味が不明確なので、僕にはよくわかりません。そんなわけで、「準拠」を「必要条件」と言い換えることによって、条件が緩むのか強まるのかいまいち筋が見えませんが、論点の変更ですから、こういうふうに一見それとわからないように書かずに、明記されるのが議論のルールでしょう。 誰も きくちさん や apjさん にマトモな返答を一切できないところが笑えたw ニセ科学批判を批判している人って、だいたいこの程度のレベルなんだよね。 もうちょっと勉強してからきなって。見てるこっちが恥ずかしいよ。 「ニセ科学批判を批判している人って、だいたいこの程度のレベルなんだよね。」の佐藤さんへ まずは佐藤さんのブログを教えて下さい。意見を読みたいです。 エントリーを撤回した意味を理解されていないようですね。 科学という名において、科学者が発言することが、この社会において、どれだけ特権化・絶対化されてしまうかということをもっと分析されたらと思います。 間違う可能性があるという意味で、科学もニセ科学も連続しています。この謙虚な意識なしに、無差別にニセ科学を批判する場合、それは単なる魔女狩りに堕落します。科学パニックですね。菊池さんや天羽さんたちが、科学を絶対化しているかどうか知りたかったわけです。エントリーは、社会的リアリティの観点から論じられています。科学を絶対化するのはニセ科学も本質ですから(ニセ科学の被害もそこからでる)、ニセ科学批判者が科学を絶対化しないのなら、私はニセ科学批判を認める立場です。 「「ニセ科学は、すべて問題だ」というようなスタンスを感じることに違和感を持つ訳で。」での佐藤さんには、賛成です。ニセ科学にもレベルと種類があると思います。 一般の化学者は、APJ菊池その他の必死の偽科学たたきを冷笑して見ているだけです。 なぜって、そんな大した問題では無いから。オウムみたいな大事件にでもならない限り、いちいちのインチキ商品に目くじらたててたら、仕事する暇がないですよ。 こんなことやるのは、「社会活動もやってる」というアリバイが欲しいちょいワルオヤジの暇教授か、只の馬鹿でしょう。 科学者は、似非科学者とまともに議論する必要もないし、「科学のためには」、議論しないほうがよい。 しかし「世の中のため」には似非科学をやっている者を叩く必要がある。ただしその方法は、科学的だとうまく行かないので、科学を本業としてない人がやったほうがよい。 擬似科学が「ゲーム脳」や「フィギュア萌え族犯行説」のような文化攻撃や差別に利用されたりするのも擬似科学批判の原因だと思うんですが。 ドイツでのユダヤ人への迫害も「ユダヤ人は遺伝的に劣っている」という説が影響したって聞きますし。 まあ擬似科学を禁止すれば逆の宗教裁判になりますけど。 疑似科学・トンデモ科学と関わりのある研究者は、
不正論文を発表したり、研究不正を行っている可能性が高い。 名古屋市立大学の岡嶋研二教授 = 育毛商法(カプサイシン+イソフラボン育毛法など) http://blog.goo.ne.jp/nagoya-cu 琉球大学の森直樹教授 = フコイダン商法 http://blog.goo.ne.jp/naoki_mori 鳥取大学の汐田剛史教授 = 還元水商法 http://blog.goo.ne.jp/tottori-u 九州大学の白畑實隆教授 = 還元水商法、フコイダン商法 http://blog.goo.ne.jp/kyushu-u/ 論文捏造 http://blog.goo.ne.jp/netsuzou
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掲示板・ブログコメント屋の論宅のブログです。論宅の他にも色々なハンドルネームで、様々な他人の思想系のブログや掲示板に社会学コメントを書込んでいます。 注・当ブログの投稿文章の著作権・版権は当ブログ管理人に属しますが、学術的引用に関しては自由に使用して下さい。 人気blogランキングへ 最新のトラックバック
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