社会的リアリティ

Baruさんへ

 とりあえず、社会構築主義関係の本をお勧めします。
  社会的リアリティとは、人々が真理と思える知識が、対象の内実と離れて、人々のコミュニケーション過程、あるいは議論による合意によってつくられるという社会的現象です。一例をあげると、ジェンダーがそれになります。「女性は男よりもか弱い」という信念(女らしさ)は、生物学的根拠(物理的リアリティ)に基づいているわけではありません。これは、ある社会によって流布している、明らかに社会によって作られた人々が共有する信念です。そのような信念が流布する社会では、女性も役割規範として女性らしさを演じることとなり、さらにその信念は社会的事実=リアリティとなってしまいます。(社会学者トマスの公理)
 また、集団力学のアッシュの実験でも明らかなように、客観的な事実(物理的リアリティ)とは離れて、人々の判断は他の人々の判断に影響されるということが観察されています。

 科学が手続きにだけに還元されてしまうと、科学者集団による討論で合意を得たものだけが科学になってしまいます。そうなると、法律と同じように、結局、科学は人間同士の話し合いで決めた約束事であり、それ以上のものではないと思われてしまいます。マートンの科学の基準にその危険性があります。逆に言うと、マートンは社会学の立場から、科学は所詮人間同士の合意によるものと捉えていることを表しているとも考えられます。また、科学的命題間の関係を貫く、形式論理学的な法則も、論理的一貫性があるものを納得するという人々の討議の手続きの前提を構成しています。
 
 私も、社会的リアリティ、つまり人々の討議による合意や約束事には完全に還元されない物理的リアリティに科学は基づいていると言いたいわけです。

 科学的真理は手続き(科学者集団が決めた方法論的約束事)だけではなく、自然という不動の存在との関係で決定されるという要素があることで、擬似科学批判は本当の意味で説得力をもつと考えられます。

 社会的リアリティは、社会学者の間では非常に初歩的な公理であり、そういう視点から科学も観察してしまうわけです。それが社会学者の役目です。

 
[PR]
by merca | 2007-08-24 20:37 | 理論
<< 構造構成主義の科学観 少し重要なポイント >>