(名称/概念)

「科学とは何であるか?」というそもそも論は、科学の概念内実たるものを議論の対象とするが、レッテルを貼る貼らないというのは、科学という名称がどのように科学者、技術者、大衆にコミュニケートされているのかという話である。

 科学という名称=レッテルに対して、それぞれの立場から色々な概念が投射されている。科学という名称はコミュニケートされていくが、科学の概念は時代によっても異なるし、学派によっても異なっているようである。科学という名称がもつ機能と、科学の内実概念は区別しておいたほうがよさそうだ。イデオロギー論で科学を批判の対象とする場合、科学という名称のもつ社会的効果についてである。
 科学という名前だけで、人々が思考停止し妄信する社会現象を批判の対象としている。いわゆる科学的知識の絶対化である。ニセ科学が、科学という名称のもつ社会的魔力を利用し、意識するしないに関わらず、人々を騙すのなら、確かに詐欺行為に近い。
 
 科学の内実概念を知れば、多様な科学観があり、科学も間違うことがあるというリスク感覚も養うことが可能となる。システム論でいう信頼は、イデオロギー論とは異なり、科学は信頼性があるが、信頼はリスク(裏切られることがある)を伴うものであるという偶然性の感覚に支えられている。信頼はリスクとワンセットの概念である。システム合理性の観点からは、個々の科学的知識に対して正しいか検証するコストは省くが、イデオロギーのような妄信ではなく、リスクを伴う信頼という態度で関わることになる。
 ニセ科学批判は、科学という名称のもつ社会的魔力(イデオロギー効果)を剥脱するという機能を有している。我々は、個々の科学的知識と言われるものに対してニセ科学かもしれないというリスクをもって接する必要がある。ニセ科学批判はリスクを見積もってくれる機能がある。ただ、ニセ科学批判を信頼する際も、それが間違うことがあるというリスク感覚を忘れてはならない。
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by merca | 2007-08-30 08:59 | 社会分析
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