ニセ科学問題の社会的構成


 ある一つの理論や商品がニセ科学であると摘発されることで、ニセ科学(問題)は社会的に構成される。それまではニセ科学(問題)という実体はどこにも存在しない。摘発者は、ニセ科学批判者と呼ばれる科学者たちである。社会問題の社会学では、摘発のことをクレーム申立という。
  この場合、科学者という専門的権威からのクレーム申立によるレッテル付与である。レイベリング論の観点からすると、他者にレッテルを張ることは、同時に自己にレッテルを張ることを伴う。ニセ科学批判者がある理論や商品にニセ科学のレッテルを貼ることは同時に、自らは真性科学であるという自己レッテル化を伴う。つまり、ニセ科学批判者は自己レイベリングすることで権威という社会的利得を得ている。科学と称する理論や商品に対して科学のレッテルを剥がすと言ったところで、言葉のあやにしかすぎず、レッテル剥奪は同時に真性科学であるという自己レイベリング=自己絶対化・中心化を伴うことになる。(自己言及的構造)
 当事者の意思や目的がどうであれ、二者間の相互作用として相対化して観察すると、上記のように記述される。
 
 あと、一つの現象を社会問題化するということは、問題化の観点が必要となる。つまり、なぜ問題化するかである。どのような関心に相関して問題化しているかである。道徳的関心から問題化されているのであろうか?あるいは、科学の権威を冒涜するものとして問題化されているのであろうか?公共の利益のためであろうか?
  関心を共有していない相手には、問題だと認識されず、上記のような単なるレッテル付与行為としてしか観察されない。事実を知れば、同一の関心に導かれるという安易な前提には根拠はない。事実をどう認識するかは、関心に相関的である。空腹な者にはパンは価値があるが、満腹の者にはパンは価値がない。ちなみに、関心を強要することは、価値観の押し付けである。事実が価値観をつくるのではなく、価値観が事実を選択的に構成するのである。

 参考 http://d.hatena.ne.jp/arakik10/20070906/p1
 
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by merca | 2007-09-08 19:43 | 社会分析 | Comments(2)
Commented by wetary at 2007-09-10 15:39 x
私はニセ科学批判にしたり顔で付和雷同的に賛同する人に対して、彼らが理系であることに尊大なまでの優越感を抱いていることを見逃しませんでした。私が津村さんらの批判にも一理あるなと感じたのは、全体主義的な風潮をそこに感じたからです。人間誰しも間違いをおかしますが、その間違いを人格否定にまで追い込む狂気をまとった風潮に空恐ろしく感じます。

科学帝国主義、科学全体主義とでも言うべき風潮が原爆などの科学者の暴走を生み、それは今日まで連綿と続いているです。飯のタネのためなら、データの改竄も平気でします。科学者とはそういう倫理観の欠如した人の集まりです。問われるべきはまず科学者の倫理です。倫理の欠如した科学者達がまずみずからの襟を正さずして、よその批判をしている場合ではないだろうというのが、津村さんを初め、どこかニセ科学批判に懐疑的な人たちがもつ警戒感ではないでしょうか。
Commented by 田崎 at 2007-09-11 12:00 x
>「ニセ科学的な説明を使っている」という指摘によって売れなくなったとする。

例えば「マイナスイオン」というニセ科学的な用語を使っただけでは詐欺ではない訳で
そこで「詐欺だと強い批判に出て」売れなくなるとすれば風評被害でしょう。

他者危害が明確に確認できない部分について、強く批判することの問題です。
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