科学の道徳化現象

 倫理学は、現実の人間社会の道徳を対象としない。倫理学における道徳は、哲学者のつくりだした理想的観念である。それとは異なり、現実社会の道徳を実証的に研究するのは、社会学である。社会学は、社会調査法(質的調査、計量調査の二つがある)の技法によって、現に人々がどのような価値観や道徳観念に基づき、行動しているか分析する。マックス・ヴェーバーが名著「プロテスタンティズムと資本主義の倫理」で分析したように、実際に流布している道徳観念と社会現象の関連を分析する。
 倫理学者の提案した道徳観念で現実に人々が行動していると勘違いするとえらいことになる。まずは、現実社会においてどのような道徳が人々の行動を動機付けているか調査し、それが社会にとってどのような機能があるか分析する。現実社会で生き残ってきた自然な道徳観念は、それなりに意味があり、1人の倫理学者が人工的に開発した道徳観念よりも、様々な側面において、はるかに優れている場合もある。人類がどのような道徳を選択すべきかという倫理学のテーマも、現実の道徳を分析することなしには机上の空論になってしまう。少なくとも応用学・実践学としては失格である。
 さて、理念的には科学は確かに道徳ではないが、現代社会においては、現実的には科学が道徳として機能している現象は観察されうる。倫理学からは観察されないが、社会学からすると、これは十分ありうる現象である。
 道徳規範の社会学的特徴は、それに違反すると他者から非難され、それに合致すると賞賛されるということである。つまり、他者からの正負のサンクションを伴う。科学的に証明されないことを真理だと主張すると、集合的非難を浴びせされ、科学的に証明されたことを真理だと言うと、賞賛される。理念的には自然科学は道徳の世界と区別されるが、自然科学を道徳として観察することも可能である。「科学的に証明されないことを真理であるということは悪いことである」という道徳規範は流布していると思う。オカルト批判、スピリチュアル批判にその典型が認められる。ニセ科学批判にも該当すると考えられる。
 ニセ科学批判者は、科学がイデオロギーだと分かっていても、科学が道徳化してしまっていることまでは気づいていないような気がする。ニセ科学批判者を見ていると、猛烈な道徳感情を感じてしまうのは、そのためである。科学を知識として身につけるだけではなく、道徳として内面化しているのである。
[PR]
by merca | 2007-09-18 23:05 | 理論 | Comments(8)
Commented by wetary at 2007-09-19 08:49 x
サンタクロースを信じないでください、などと言う科学者が、そのうち、でてくるかもしれませんね。神や仏も信じないでください、などという科学者がいたら、それは人の価値観さえも認めない、あるいは、人の価値観にまで介入しようとする科学全体主義とでもいうべきもので、将来、恐るべき事態を招くことは想像に硬くありません。

医学の世界ではプラセボ効果などの方がよっぽど薬よりも利く場合があります。時には精神薬を処方した方が消化器系の疾病には有効なときもあります。科学者は神や仏の存在を軽視し、その社会的な機能についてまでは想像が及ばないのでしょう。
Commented by 田部勝也 at 2007-09-22 04:39 x
何も知らない・できない無能なガキが、ママゴト遊びで大人を馬鹿にするのもいい加減にしとけよ。
>科学が道徳化してしまっていることまでは気づいていないような気がする
おまえさぁ、誰に向かってそういう事言ってんの? 本気でそう思ってんのか、ニセ科学批判者を貶めるためにわざと事実と逆の事を書いて挑発してるのか知らんけど、おまえが最低のクソ野郎だという事は十分分かったよ。おまえは人間社会のなかで生きる価値も資格もないから、一刻も早くこんなクズサイト消して、死ね。死ぬのが嫌なら、無人島でも行け。二度と人間に関わるな。それも嫌なら、半年くらいホームレスでもしろ。今の日本なら1年くらいホームレスしても死にやしないから。
もう一度繰り返す、今のおまえは死んだ方がいい人間だ。はやく死んでくれ。
Commented by wetary at 2007-09-22 08:27 x
社会科学はディタッチメントな態度が求められ、対象との距離を峻別して考えます。そうでなければ、社会学者に擦り寄る弱者利権の関係者に簡単に利用されてしまうからです。マルクスを誤解する多くの人は、社会科学の理論があくまでもモデルであり、現実とはまったく異なるものだということが分かっていないためでもあります。

ディタッチメントな態度があれば、人格と議論の対象を混同するようなことはありません。しかし、田部さんの脅迫めいたコメントからも分かるように、ニセ科学批判者は自分が批判されることに対する耐性がまったくありません。田部さんが議論の対象に向けた批判に向かわずに、人格攻撃に傾いてしまったのは、社会科学の作法であるディタッチメントな態度の著しい欠如が見られます。これは論宅さんの仰るとおり、田部さんが科学を道徳として内面化している証左でもあると思います。
Commented by 論宅 at 2007-09-22 09:15 x
wetaryさん
コメントありがとうございます。 
 上記の発言は、本当に田部勝也さんのコメントなのでしょうか?
 本当だとすると、やはり怖いですね。言論の自由を奪われた気がします。憲法違反です。
Commented by wetary at 2007-09-22 10:18 x
もし、田部さんのニセモノだとしたら、それは許せないことですね。私は田部さんをご存じないのですが、論宅さんや非ヤングさんのお話を聞いていると、あんな品のない書き込みを本人がするとは考えづらいとのことで、もし、そうなら、田部さん、論宅さん、たいへん失礼しました。まずは事実をはっきりとさせたいところですね。
Commented by nakanishi at 2007-09-22 16:51 x
j自分ではあまり積極的に「ニセ科学」批判をしてはいませんが、心情的に「ニセ科学批判」をサポートしている物理屋です。

  >科学が道徳として機能している現象は観察されうる。
ということは、実際に多くの場面であるように思いますが、
  >ニセ科学批判者は、、、
  >科学が道徳化してしまっていることまでは
  >気づいていないような気がする。
というのは、思い過ごしのように思います。

世の中には、「真実であると証明されていないもの」を真実であると主張するばかりではなく、「真実でないと証明されていること」を真実であるとする言説すら無数にあり、それらの大半は無害、或いは文脈によってはそれなりに社会的に積極的な機能を果たしている場合も少なくありません。
Commented by nakanishi at 2007-09-22 16:52 x
## 続きです ##


プロの科学者で「ニセ科学批判」をそれなりにしているほとんどの人は、「真実でないことが明らかなこと」を主張して、そのことにより「社会的に有害な事態を生じている」と判断した場合にのみ、初めて、積極的な行動を起こしていると思います。(もちろん例外はあると思いますが)

その意味で、「プロの科学者でニセ科学批判をしている人」にとっては、多くの場合、「ニセ科学批判」は「科学活動」と峻別されており、道徳的なものであることは十分認識されているように思っております。
Commented by merca at 2007-09-23 09:16
 田部勝也と宮台真司の書き込みを削減しました。
 なお、最初の田部勝也のコメントは残しておきました。田部さん本人からの回答待ちです。
文章の先頭に>を最初にもってくる書き方に特徴があります。プロバイダーに確認したところ、みな同じだと方だと解析の結果わかりました。
<< 社会宿命論からの解脱 数学は非科学か? >>