社会宿命論からの解脱

 社会が一つの実体として表象され、人々を拘束する時、人は社会を必然の宿命として受け取る。例えば、奴隷階級に生まれた者は一生自由がないとか、学歴社会においては低学歴の者は一生差別されるとか、そのような疎外意識をもつ場合がある。
 つい20年くらい前まで、「いい学校=いい会社=幸福」という文化的目標(価値観)が絶対視され、よい大学を卒業しないと、よい人生が送れないと、思われてきた。一つの物語が動かぬ必然の事実として人々に表象されてきた。これは、(存在/意識)というコードで社会を観察していることになる。マルクス主義のコードと同型である。社会が自然のように動かぬ実体として君臨し、人々を苦しめてきた。社会を物理的リアリティとして捉えると、かような疎外意識をもつことになる。
 現代においても、ひきこもり、ニート、薬系の若者、シャイマン(恋愛弱者)などが、自己を格差社会の敗者として認識し、社会的現実を不動の必然として捉え、疎外意識をもつ場合がある。

 社会を偶然として捉え、一時的に構成されたものとして捉える社会構成主義は、そのような社会的疎外感に束縛された若者を解放してきた。さらに、その都度、社会は生じては滅する刹那滅的存在だと捉える創発論的社会観=ラディカル構成主義に至っては、さらに自由感や創造性を与えてきた。

 社会に対して自然のように一つの事実しかないと思い込み、社会的なるものを物理的リアリティ(認識と対象の一致という真理観)で観察することで生ずる差別意識や疎外感は甚大である。我々は、一つの事実を絶対視・実体視する立場=社会宿命論に気をつける必要がある。
 
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by merca | 2007-09-21 22:02 | 理論
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