(勝ち/負け)、(敵/味方)


 色々と想像し、私の説や動機に自分たちの願望を投射しているようであるが、無駄なことである。私は、 議論の(勝ち/負け)や(敵/味方)というコードにはなんら準拠していないからである。もともと何が真実であるかについて無欲である故に、いたずらに他者の願望を呼びこむことが多い。私が興味があるのは、他者がどのような区別に準拠して発言しているか観察することだけである。
 いずれにせよ、そのような投射行為によって、逆に今騒いでいる論客の皆さんが準拠している欲望や区別を観察できることになるので、うれしいことである。ネット上には、もはや騒いでいる皆さんによってつくられた私の像しか存在しないのである。そもそも、一切の物に実体はない。全てはつくられたものである。私の説すらも区別することによって刹那に生じたものにしかすぎない。つくられたものに真も偽もなく、すでに寂滅している。

  むしろ暴かれたのは、私の周りで騒いでいる人たちの道徳感情とその強度である。本当に熱い感情が読み取れる。なぜかというと、自らの道徳的関心でもって他者を観察しているからである。真なる識者は、ほどよくそれ自体を観察していることであろう。

  追伸
 トラックバックの質問には一部答えようと考えたが、答える前に、内輪ですでに答えをだしているのである。答えは、これすべて、自己のうちにあるのである。
 私も含めてニセ科学批判批判をする人たちは、よく見れば孤立化しバラバラなような気がする。互いに連携することはなく、それぞれが自己に準拠して述べている場合が多い。私は、津村さんや室井さんとも、ほとんど連携したことがない。どんな人かあまり知らない。
 一方、ニセ科学批判の人たちは集団化する傾向にある。集団化するということは、一つの思想的潮流になる可能性もあり、特に悪いことではない。(ローマの寛容の実践、他説を取り入れるのもその実践の一つ)
  (敵/味方)というコードに準拠し、誰か敵がいることでまとまっている。おおよそ集団の境界線は外からしか観察できないので、自分たちが思想的に集団化していることに盲目であると思われる。
 
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by merca | 2008-01-17 18:51 | 理論 | Comments(12)
Commented by wetary at 2008-01-17 20:08 x
 お久しぶりです。思えば左巻健男さんという方が「水はなんにも知らないよ」という本を出したりして、したり顔でニセ科学批判をしているわけですが、彼がこれまでしてきたことと言えば「図解雑学 ダイオキシン」という本でダイオキシンが世界最強の毒であるとして、散々あることないこと主張してきたわけです。
http://www.amazon.co.jp/dp/4816327452/
 そんな中で所沢の風評被害や、中小の焼却炉業者が破産し、自殺者なども少なからず出ているわけです。したり顔の水伝批判者はきっと科学の名を騙れば何をやっても許されるとでも思っているのでしょう。科学者はしばし自分の価値観を絶対正義と過信し、人類に破滅的な災いをもたらしてきました。「ペルンコプフ解剖学(Pernkopf Anatomy)」は医学書の傑作と言われていますが、その人体解剖図は強制収容所の死体に基づいて作られたものです。日本は北米や世界中に資源を枯渇させ人類滅亡を加速させる車をばら撒き、毎年世界で一千万人規模の交通事故による死傷者を生んでいます。科学者はその上に築かれた泡沫の繁栄であることを忘れているようです。
Commented by 論宅 at 2008-01-18 00:08 x
wetary さん こんばんは論宅です。
 とにかく、私ごときに過剰反応なんですよね。天羽さんを含めて。まぁ、さすがに菊池さんは冷静かもしれません。
 このような過剰反応をどう思われます。よければ、感想を御願いします。
 ふまさんにお詫び。あの過激な発言は、田部さんだったんですね。いやはや科学道徳って怖いですね。
Commented by wetary at 2008-01-18 02:20 x
 まさに過剰反応だと思いますよ。もっと寛容な気持ちで受け流したらと思いました。それと感じたのは、ニセ科学批判者にはなぜか余裕があまり感じられないのです。そこがストイックなまでに犯罪を貫徹したオウムの理系信者とどこかでかぶるのです。彼らは、一般論は駄目で具体的な非難ならいいなんてルールを勝手に押し付けていますが、ブログは自由に自分のアイデアを書けるところですし、それを非難するいわれはこれっぽっちもありません。そこをあそこまでヒステリックに騒ぎ立てるのは逆に気持ちの悪いことです。
 マルクスの理論にしてもモデルに一つに過ぎないわけですが、それを絶対視してしまう原理主義が問題なのです。普通に考えれば、すべてに万能な法則など存在するはずもありません。相対主義ではモデルの限界を十分に把握して社会学的な言説にまで敷衍しているわけですが、そこのところを彼らは根本的に理解しておらず勘違いしているように思います。そういう意味では、彼らの思考法の方がよっぽど原理主義に近いわけですが、もしかしたら、それを指摘する人がこれまで余りいなかったので、論宅さんの言説に余裕を無くされてしまったのかもしれませんね。
Commented by 田部勝也 at 2008-01-18 03:21 x
怖かったですか。怖かったのは私だけですか。
怖いですよね、人間って。そんな怖い人間たちのつくる社会で、ぼくたちはどう生きていけばいいんでしょうね。そんな怖い人間たちのつくる社会に、ぼくたちはどう関わっていけばいいんでしょうね。そんな怖い人間たちのつくる社会を、ぼくたちはどうすべきなんでしょうね。何よりも真剣に、命懸けで向き合わなければならない問いかも知れませんね。
あなたの社会学は、それになんて答えたんですか。答えてくれるんですか。
Commented by 論宅 at 2008-01-18 08:42 x
 田部さん こんにちは 
 全ての怖さは、特定の思想を実体化・絶対化することから起こります。一人で絶対化している分には、そんなに怖くありませんが、ある思想を集団や社会で絶対化することで、人は苦しみます。仏教では全ての事物を実体化・絶対化しません。社会学も仏教と同じ着想であります。社会が所有する差別観念が規範として絶対化・実体化されて人々に流布していくことで、弱者をつくりだし、一部の人々を苦しめます。社会学は、社会で絶対化・実体化された差別観念を相対化し、無害化することに役立ちます。
 下のエントリーでは、社会宿命論からの解脱ということで述べています。
http://mercamun.exblog.jp/7475042/
Commented at 2008-01-19 16:08 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 田部勝也 at 2008-01-19 23:46 x
「社会に役立つはずのモノ」を、あれだけ多くの人にあれだけ嫌わせ憎ませてしまったぼくたちは、端的に負けたんですよ。
「負け」という表現が嫌ならば、自分の信じていた「社会に役立つはずのモノ」は、無意味だったのか、間違っていたのか、そうでなければ、ぼくたちは、自分の信じる「社会に役立つはずのモノ」に自分自身の手で泥を塗り、貶めてしまったのです。
ぼくは、その事実から目を逸らさず、それを胸に刻んで生きていきたいです。それがとてもとても難しい事だけに。
Commented by 非ヤング at 2008-01-20 21:29 x
同じ物を上手く使える奴もいれば、使えない奴もいる
だた、それだけのことだが
Commented by 田部勝也 at 2008-01-20 23:40 x
あなたの周りには、あなたの「社会に役立つはずのモノ」をうまく使える人がたくさんいるんですね。よかったですね。
Commented by TAKESANE at 2008-01-25 16:59 x
昨今の疑似科学批判ってなんか浅薄だなと思う。水が語るわけないし、進化の過程に神が介在するわけじゃん。
世の中そういう人はいるし、そういう人だってまっとうに生きているかもだから、そんなのほっとけというか、
悪徳ビジネスとかいうなら、消費者問題として区別すればいいんで、スジが違うように思う。

なんというか - finalventの日記
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080124/1201132364
Commented by takesane at 2008-01-27 16:04 x
お前はそれでニセ科学を批判しているつもりなんだろうが、
何も分かっていないんだよ。

例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。


20 :あるケミストさん :2008/01/25(金) 23:01:12
>>19
>例えば、「科学用語」(←科学周辺の科学ならざる物)と
>「科学そのもの」を同一視するところからニセ科学は産ま
>れる。それが分からんようじゃ、何を批判したって無駄。

他にも、「科学技術を使った工業製品」(←科学周辺の科学
ならざる物)と「科学そのもの」を混同するとか、「科学の
教科書」を「科学そのもの」だと思い込むとかな。

それらに科学者が関るのは、とても自然なことだ。だからと
言って、それらが科学ではないということに変わりはない。
Commented by 正確無比 at 2008-01-29 23:01 x
「確かに、科学じゃない。科学かどうかなんて、そんなのも興味がないし、どうでもいい。ただ、自分の信じてる現象を語るために、科学っぽいレトリックを借用しただけだ」 というのが、彼らの心情だ
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/01/post_3ed2.html
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