後藤和智の宮台批判への疑問

 これは本当に一番興味あるテーマである。
 
 新・後藤和智事務所 〜若者報道から見た日本〜: (宮台真司への)絶望から始めよう——「現代の理論」発刊に寄せて
http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2008/01/post_fe9b.html

 後藤氏がとうとう正式に宮台真司を批判した。宮台真司の成熟社会論を前提としたこれまでの若者論について、ニセ社会科学として批判している。その根拠は一点である。実証性がないという点である。
 後藤氏が考える社会科学の公準の中には、実証性が含まれていると考えられる。それも、厳密な統計主義に根拠付けられた実証性である。統計主義的実証主義である。そういう立場から、宮台氏の若者に対するインタビュー調査=質的調査を否定している。
 
 しかし、多くの社会調査法の教科書を見ればわかるが、質的事例調査の意義についてもきちんと述べてある。後藤氏は、統計調査のほうが質的事例調査よりも、優れているという安易な前提に立っている。質的事例調査は、社会学のあらゆる分野で有効に使われている。特に、臨床社会学では、質的事例調査がメインである。決して、宮台氏が社会学的に見ておかしなことをやっているわけではない。質的事例調査は、統計調査よりも社会をより適切に記述することができる場合がある。洞察力に優れた社会学者なら、質的事例調査のほうが端的に社会の実相を観察・記述できる。もちろん、鈍い社会学者が質的事例調査をしたらひどいものになるが・・・。そういう意味で、質的事例調査は、あたりはずれが大きい。典型性・代表性のある事例を的確に調査すれば、わざわざ統計調査で検証する手間も省ける。

 さらに、これが大切であるが、自然科学と違って社会科学は、観察主観の側の恣意性よりも、むしろ観察対象に恣意性がある。要するに、観察対象は人間やその関係であり、状況や気分次第で調査に対しても恣意的に反応するかもしれない。自然物にはそのような恣意性はなく固定化された規則的なレスポンス=実験結果がある。自由意思をもつ人間となると、恣意性を免れない。統計調査で表面的なところを調査しても、質問の意味を取り違えたり、表面的で本当のところがわからない場合が多い。また、疑似相関関係が隠れていたりする。
 質的事例調査においては、調査者の視点から質問して切り込めるので、調査対象の恣意性は統制しやすい。直接コミュニケーションをとることで、相手が質問を本当に理解しているか確認できるし、状況に応じて調査対象が答える言葉の真意を確認することができるのである。実際に、事例調査は、調査対象と直接接触してえた第一次情報なので、臨床的な実証的知識そのものである。要するに、一般化していいのかどうかが問題になるだけであり、実証性とは直接関係ない。

 なお、後藤氏の社会科学の公準(統計主義的実証主義)からすると、ニセ科学批判の前提である「○○は科学的事実であると社会的に誤解されている。」という命題も統計調査によって実証されていないといけないことになる。でないと、ニセ科学批判者は実証的根拠がないことを言っていることになる。後藤氏は、統計主義に基づいて、ニセ科学批判者の発言を実証性がないと判断しているであろうか? 興味深い点である。
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by merca | 2008-01-20 00:39 | 理論
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