「事実」という物語

 科学的事実あるいは客観的事実を重視する連中、すなわちニセ科学批判者やスピリチュアル批判者は、結局、事実そのものではなく、「事実」という物語を求めているにすぎないという視点も成立ちうる。事実を物語(思想)として受容し、それが自己観念と結合してしまっているのである。従って、事実を否定されたら、とたんに目くじらを立て怒りだす。正しく、これは、ニセ科学批判者に認められる心的傾向である。事実が自己のアイデンティティと結合し、物語化あいるは規範化してしまっているのである。(事実を事実として受容する人間は、事実と違うことを見ても怒らない。)
  ポストモダン社会となり、全てが相対化され、その相対性に適応できない連中が、「事実」という物語にしがみつき、自我を支えようとしているのである。科学に「事実」というレッテルを貼り、それに依存するのである。

 科学に生きる意味=物語を見い出す人たちは、他ならぬニセ科学批判者たちなのである。「事実」という物語で他者を批判するのはいかに甘美なことであろうか。事実を物語として受容していることに気づかないうちは・・・。彼等は、事実を必要としているのではなく「事実」という物語を必要としているのである。

  参考・・・他ブログ
   事実が必要とされない理由
  

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by merca | 2008-03-11 00:43 | 社会分析 | Comments(11)
Commented by 益田 at 2008-03-11 13:44 x
>科学に生きる意味=物語を見い出す人たちは、他ならぬニセ科学批判者たちなのである。
ニセ科学批判者だけではなく、それ以外の人も科学に生きる意味を求めてると思うんですよね。
科学によって宗教の提示する世界観に疑問を持つようになり、「自分が死んだらどうなるのか」という疑問が再び立ちこめてきた、と。
「もし、世間が言うように死んで無になるのだとしたら生きる意味なんて無いじゃないか!」と多くの人がニヒリズムに陥ってしまったからこそ、科学に生きる意味を求めだしたと思うんですよ。
Commented by 益田 at 2008-03-11 13:52 x
続き

私が見てて毎回思うのは、ニセ科学批判者は人間よりも科学を重んじている傾向があると思うんですよね。「科学知識の発達が人類に幸福をもたらす!」みたいな。
私も、後藤和智さんのようにゲーム脳や脳内汚染を批判していますが、宗教やスピリチュアルを批判する気にはなれません(江原さんは嫌いですが)。
人々がニヒリズムに陥っているのに、それを無視してひたすら宗教・スピリチュアル批判をするのは無しだと思うんですよね。
水伝を批判するときには「道徳に科学を持ち込むな!」と言っておいて、もう一方では「人間には宗教やスピリチュアルは不必要だ!」と主張するダブルスタンダード。
そんなわけで、私はニセ科学批判者が余り好きじゃないんです。
パオロ・マッツァリーノさん風に言うなら「個人の事情などおかまいなし」ですね。
Commented by 益田 at 2008-03-11 14:15 x
更に続き

「オーラの泉」(スピリチュアル)批判にしたって、「自殺を増長する」だの「命の大切さを知らなくなる人が出てくる」だの言われていますが、所詮統計的根拠のない空論に過ぎません。
「判断力のない若者が自殺してしまう」(若者批判はダメな学者の典型例ですね)とはよく言われていますが、自殺者数は年齢が高くなるほど増加しますし(参考:http://www.t-pec.co.jp/mental/2002-08-4.htm)、命の大切さ云々も長崎県のアンケート(参考:http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2005/02/post_3588.html)の焼き直しに過ぎません。未成年の犯罪件数も取り立てて増加していませんし。
「来世の存在を信じることによって現世から目をそらす」ともよく言われていますが、具体的な例も統計もないので語りようがありません。
これがニセ科学批判者の実態なんですからもう笑うしかありませんね。
ニセ科学批判者はそのうち、「国民を守らなければいけない!」と称してテレビ・アニメ・漫画規制と言ったメディアバッシングでも始めるんでしょうかね。
Commented by きくちさん、GJ at 2008-03-13 21:37 x
ふま v.s. 菊池誠www
http://slashdot.jp/science/comments.pl?sid=393093&cid=1312684


756 :あるケミストさん:2008/03/13(木) 21:23:07
>>755
もう、いい加減にしたら?

>ニセ科学を非難するニセ科学者さんw
Commented by pooh (2008-03-1 at 2008-03-15 13:45 x
なんかそう云うひとはoruteさんとか論宅さんとか吉岡英介さんと相性がいいようです
by pooh (2008-03-15 06:38)
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20080314/1205521339
Commented by 論宅 at 2008-03-16 08:13 x
 田崎氏の真理観は自然科学者として一貫性があって好感がもてるのですが、「科学も、神話も、「ニセ科学」も、それぞれが適切な文化的・社会的背景のもとでは「真実」であると主張するのは、行きすぎた相対主義であり、明らかな誤りである。」という部分の認識は甘い。これは、行きすぎた相対主義ではなく、絶対主義の一種です。ある観察点を絶対化することで、科学も神話も相対化しているわけです。相対化は、必ず絶対化を伴います。また、絶対化は必ず相対化を伴います。相対と絶対は切り離すことができません。相対主義を批判しているではなく、絶対主義を批判していると言ったほうが正確です。科学の価値は神話の価値に吸収されることはなく、また逆に神話の価値は、科学の価値に吸収されることはありません。システム論的には、この相互還元不可能性を「閉じ」と言います。この「閉じ」が私が提唱する価値次元相対主義の根拠です。
Commented by アイルトン。 at 2008-03-16 18:36 x
菊池vsセナ
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1205593368
Commented by ぷうさん at 2008-03-18 23:19 x
もう後はF氏のオーガナイズする「反キクチ派」にでもなんでも与して、論宅さんや「イベントホライズンへの道」と一緒になって吉岡英介支持の論陣でも張っていただければいいのじゃないかと思っています。
by pooh (2008-03-16 18:45)
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2008-03-12
Commented by 論宅 at 2008-03-19 00:00 x
いやまあ そうなると思ってました。相対主義に関する哲学書をどれだけ読んでいるのか疑問ですね。歴史的に繰り返してきたテーマですね。繰返しますが、絶対主義も相対主義も本質は同じです。もっと違う区別で思考すればと思います。でないと進歩がないと思います。
 TAKESANやpoohさんに共通する特質ですが、他者に完璧性や論理的一貫性を求めすぎですね。他者に対する寛容性が問題ですね。人間ってそんなにきっちりとしないといけないかなと思います。もっと、てーげーに生きればと思います。
Commented by ぽおさん at 2008-03-20 11:05 x
ぶっちゃけ新しいssfs氏やmerca論宅氏をつくっても仕方がない、と云うか、ああなると悲劇だと思っているので。
自分の責任とは云え、「まともな論客」としての命脈を完全に失ってしまう。

投稿 pooh | 2008年3月20日 (木) 10:25
http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_27ee.html#comment-23284225
Commented by 菊池誠先生を応援するぞ! at 2008-03-21 02:12 x
心を病んでいたのか…
ふまさんとニセ科学の勝ちかな?

> うっきー、円形脱毛症になってしまいましたよ。
> うー、呪われる相手ならたくさん思い当たるので、どれだかわかんないよ(^^;
― posted by きくち at 10:10 pm Comment [4] TrackBack [0]
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