近代人の習慣的信頼

 横断歩道の信号が青になったら、横断歩道にむかって走行してくる車があるとしても、人は横断歩道を渡ろうとするだろう。人は、横断歩道の前で車は止まると予期するからである。人は、いちいちその車の機械的構造を分析したり、運転手の人格や心理状態を査定したり、交通制度の詳細を学んだりすることなく、信頼し、横断歩道を渡る。これで社会はスムーズに回っている。根拠なく、人は習慣的に信頼し、行動する。

  さて、この場合、人は何を信頼しているのだろう?
 観点1・・・車のブレーキを踏むと、車がとまることを信頼している。つまり、科学技術による物 理的な因果関係が存在することを信頼している。
 観点2・・・運転手が交通規範を守り、自己の意思で車のブレーキを踏むことを信頼している。
 観点3・・・運転手が交通規範を破ると、罰せされることを信頼している。

  以上、3つの信頼のレベルがあり、観点1が科学(科学技術)への信頼、観点2が役割(運転手としての)への信頼、観点3が法律への信頼である。いずれの信頼も、交通事故防止のためには必要である。しかし、故障や過失も存在しうるために、これらの信頼は、無条件で完璧な信頼とは言い難い。暴走族のような改造車が横断歩道に近づいていきたら、無理して横断歩道を渡ろうとしないのは、賢明なリスク管理だと言える。つまり、どのような事態が起こると、これらの信頼が通用しないことがあるのか考えるのがリスク管理である。さらに、事後の被害補填というリスク管理のために、自賠責保険や任意保険がある。とはいえ、多くの場合、習慣的に信頼していることは、期待はずれの事態が起きた時に、はじめてそのリスクが査定されるのである。

  このように近代社会における人々の信頼構造を習慣的信頼と呼びたい。これは盲信ではなく、社会生活に適応するための重要な心的態度である。科学は日常生活の信頼の構造に組み込まれているものの、役割や法律への信頼などと混在しているのであり、とりわけ、科学だけが際立っているわけではない。科学のみに対する信頼だけでは、交通事故は防げないのである。心のブレーキを整備する必要もあるのである。
   
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by merca | 2008-03-15 18:30 | 社会分析
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