疑似科学蔓延(合理性のパラドックス)

 疑似科学が蔓延する理由は、人々が非合理的思考をもっているからではなく、実は合理的に行動するからである。
 個々人の合理的な行動が、集合レベルでは、かえって不合理な結果をもたらすというパラドックスはよく起こる社会現象である。事例をあげると、金融パニックである。銀行の経営状態が悪化していると、リスクを回避するために個人レベルでは預金を早く降ろすことが合理的な行動であるものの、結果として多くの個人がそのような合理的行動をとると、銀行は逆に倒産してしまうことになり、不合理な結果をもたらす。個人レベルの合理的行動が必ずしも社会レベルで合理的な結果を出すわけではない。株式市場や投票行動などでも、よく起こるパラドックスである。民主主義が全体主義を生み出すというパラッドックスは有名である。

 ニセ科学商品を蔓延させる業者は、マーケティングにおける利益追求という極めて合理的な行動をしている。それを買う消費者も、余分な思考のコストを省くために、科学の御墨付きの表示があれば、安心して買う。これも合理的な行動である。いちいち個人でその商品が科学的根拠があるかどうか調査していると、その商品にかかるコスト以上の経費がかかり経済的に不合理となる。被害にあう確率や騙される確率が低く、リスクが少なければ、科学的という表示があるだけでも、消費者は買うことになる。
 私的レベルや個人レベルでは、業者も消費者も自己の利益にかなうように合理的に行動しているわけであるが、当の経済的合理性がニセ科学蔓延の原因となっているのである。ニセ科学が蔓延することで、かえって被害を受ける確率は高くなり、社会レベルでは不合理となるのである。

 疑似科学批判者たちの合理性の定義は、実に混乱している。真理や事実と合理性を混同している場合が多い。一般に、合理性とは、目的を実現する最適の手段を選択する理性のことである。目的そのものは、経済的価値、宗教的価値、芸術的価値、教育的価値など、その内容は問われない。極端な話し、占いを受けて金を払った客は、悩みが解決することを目的としているわけであり、占いが提供する物語(非真実)で精神的に楽なり、落ち着いて、悩みが解決すれば、それで目的を達したことになり、極めて合理的なのである。真実や事実を得ることを目的としていなければ、なんら不合理なことではない。それぞれの合理性で人々は行為しているのである。社会学の古典であるが、マックス・ヴェーバーの行為の4類型は、そのことを教えてくれる。どんな不可解な目的をもとうが、目的そのものについては、(合理/不合理)を問うことはできない。

 合理性については、社会学では個人レベルの合理性のみならず、対話的理性やシステム合理性という社会レベルの合理性を重視する。このレベルから観察すると、疑似科学や疑似科学批判の見え方がかわってくるのである。

 合理性のパラドックスも、究極的には「創発の妙理」という社会学の深遠なる奥義に基づいているのである。

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by merca | 2008-05-05 13:20 | ニセ科学批判批判
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