反貧困の脱パラドックス化

  反貧困を事例とし、区別の論理を述べたい。

 何をもって貧困とするのか、このことを突き詰めると、決定不可能に陥る。つまり(貧困/反貧困=貧困でないこと)というコードも結局のところ突き詰めると、決定不可能に陥る。貨幣の所有で貧困を定義すると、専業主婦や子供も貧困になり、何かおかしくなる。また、誰と比較して貧困なのか? 誰と比較するかは全くの任意である。
 そのような任意性を排除するために、(絶対的貧困/相対的貧困)というメタコードに準拠して貧困を定義する考え方もある。この区別は、(生命維持可能/生命維持不可能)という別のコードに準拠している。社会的概念である貧困を生物学的観点から観察し、脱パラドックス化しようとする試である。しかし、(生命維持可能/生命維持不可能)という区別も、突き詰めると、話が困難になり、別の区別に依存することになって、無限に遡り、決定不可能になり、挫折する。区別を遡る方法はこのように無際限である。区別を遡ることなかれである。最初の区別を固定化し、その区別を根拠付けるのために他の区別を求めるという方法は挫折する。一つの区別と別の区別に序列関係をつけているわけである。区別どうしが対等な関係でなく、一方的であるところに問題がある。
 
 さらにこの点が重要である。区別の弁証法的方法で観察すると、反貧困を唱えることがかえって貧困をつくりだすという現象が見て取れる。一つの区別の片方の項=反貧困にこだわるのはいいが、それは常に反対の項=貧困との差異によって可能なわけである。反貧困は、(貧困/反貧困=貧困でないこと)という区別に準拠しており、貧困なしには成立たない。反貧困を唱えることで、かえって反貧困と貧困の境界線が必要となり、貧困を常に生み出してしまうわけである。従って、反貧困を唱える限り、永遠に貧困はなくならない。社会を(貧困/反貧困=貧困でないこと)のみで一元的に観察するかぎり、この弁証法的パラドックスから逃れることができない。包摂が排除を伴うという論理と同じである。少なくとも、反貧困が常に貧困の意識をつくりだすことになり、反貧困運動は永久革命となる。このように一つの区別に止まり続ける方法も、活動の無発展的形骸化を生み出す。

 一つの区別を遡っても、一つの区別に止まっても、発展性はない。一つの区別は複数の対等の別の区別から観察することでのみ生かされる。

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by merca | 2008-07-12 09:27 | 理論 | Comments(0)
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