ニセ科学批判の脱パラドックス化


 ニセ科学批判は、(科学/非科学)という区別に準拠し、対象となる言説や技術を観察する。ところが、そうすると、(科学/非科学)を区別する当の判断基準そのものが科学的であるかどうかという議論が必ず起こる。さらにその基準の基準についても議論が起こり、再度(科学/非科学)の区別を適用せざるを得なくなり、永久にニセ科学批判は不確定となる。このような区別の自己適用から起こるパラドックスを「自己言及のパラドックス」という。簡単に言うと、科学とは何ぞやという問いは、永久に不確定であり、ニセ科学批判は永久に完全に成り立たないということである。真偽、善悪という区別も自己言及のパラドックスに陥り、結局、不毛な議論となる。

 ニセ科学批判を脱パラドックス化するためには、同じ区別を遡るのではなく、別の多様な区別で観察する必要がある。例えば、(有用/無用)、(有害/無害)、(合理的/不合理)等という区別から観察してみるのである。そうすると、行き詰まりから開放され、別の地平が開け、コミュニケーションが連接していくことが可能となる場合がある。例えば、地球温暖化説がニセ科学かどうかを観察する場合、その基準そのものが科学的かどうか問われることになる。しかし、原理的に科学的かどうかは究極的には確定できない。しかし、世界平和の観点から観察すると、地球温暖化説は有用かもしれない。地球全体にかかわる関心事であり、国際社会の連帯を強化するように機能する可能性があるからである。別の観点から観察することで、対象の意味内容がいくらでも違って見えてくる。

 一つの現象に対して、特定の区別のみを固定点として観察する方法は、必ず行き詰るのである。多様な区別を駆使し、観察することで、問題は無害化される。ニセ科学批判者は、(科学/非科学)という区別のみを固定点として絶対化し、他の多様な区別による観察に開かれていないように見える。私は、(近代社会のイデオロギー/イデオロギーでない)という別の区別でニセ科学現象を観察してエントリーを立てたが、科学を相対化する視点に立てるニセ科学批判者はあまりいなかったと思う次第である。

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by merca | 2008-07-20 13:47 | 理論 | Comments(2)
Commented by vache at 2008-07-30 01:18 x
はじめまして。
>一つの現象に対して、特定の区別のみを固定点として観察する方法は、必ず行き詰るのである。多様な区別を駆使し、観察することで、問題は無害化される。
というところに賛同します。自分がいつも思っていたことを、
知的にすっきりまとめて書いてあるとすがすがしいです。
これからも楽しみにしています。
Commented by merca at 2008-08-02 09:27
論宅です。vacheさん コメントありがとうございます。
 真理、善悪、幸福、生きる意味などの哲学的課題に対しては、弁証法、脱構築、空の思想など色々と対処する作法はありますが、脱パラドックス化という作法=区別の投入は、開かれたコミュニケーションを産出するという点において、他よりも優れています。
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