社会の創発

 利己主義という悪が善(利他)を生み出すことがある。悪が善を生み出すというのは、理論的には矛盾しているが、社会の創発の妙理からはありうる現象である。

 ある国が飢饉になって餓えた人たちが発生した。この国に、愛のない利己主義者の役人がいたとする。この役人のもとに、餓えた国民が援助を求めてきたとする。この役人は、規則に従って、一人の国民に対して、決められた量の食料しか与えなかった。従って、餓え過ぎた国民が泣いて余分に懇願しても、役人は規則を破らず、機械的に仕事をこなし、情など一切かけなかった。国の規則を破ると役人は罰せられるので、自己防衛=自己利益のために規則を守った。その結果、食料は満遍なく配給され、一人も飢え死せずに済んだ。もろちん、疫病や内乱があれば、結果は異なり、究極的には社会の創発は偶然である。(善の動機から善なる社会が生ずることを妨げるわけではない。)

 役人の動機は利己主義=悪であるが、役人の行為は社会全体レベルでは善を生み出している。道徳コードから観察すると、個の論理が悪であっても、全体の論理では善になる。同種のパラドックスはいくらでも見出せる。逆に、役人が情のある善人であり、全体性を予期せず、泣いて懇願する餓えた人に対して規定より多くの食料を与えて、そのために餓死者が多くでたとすると、この場合、役人の行為は全体レベルでは悪を生み出したことになる。
 さらにもう一ついうと、先の例で、役人は、全体性=社会を予期して行為するが、実は、この全体性=社会は物語であり、実体などない。ただし、行為することで、結果的に全体性は実在するようになる。つまり、社会という全体性なるものは、行為=実演することでのみ創発=起動されるものである。
 例では、役人と餓えた人のコミュニケーションの集積が、福祉社会を創発したことになる。しかし、一度、役人が異なった行為をとると、瞬時に福祉社会は消滅する。社会はつくられ、維持されることでのみ、仮に実在するのであり、本来、刹那滅的なのである。
 この点、非常によく誤解されており、社会がはなから固定的に実在すると錯覚している論者も多くおり、特定の区別を絶対視し、格差社会、学歴社会、資本主義社会などが不動の存在としてあると思い込んでいる。ちなみに、社会を不動の存在と観察する社会観を存在論的社会観あるいは社会宿命論という。
 ビートルズのイマジンではないが、全世界の人々が国境があると思って行動するから国民社会が作動するだけであり、もし全世界の人々が国境などないと思って行動すると、瞬時に国民社会は消滅する。

 ここでは、個の論理と全体の論理が異なることもあること、さらに行為あるいはコミュニケーションが作動して、はじめて社会という全体性が起動するという点を押さえておきたい。

  参考
 社会契約論や社会的選択論の欠点は、行為システムにおける役割行為の具体的内容を捨象していることである。一方、パーソンズの社会体系論では、個人の利己的欲求は社会的役割を通して満たされ、社会全体の秩序維持という善に貢献しているという観察がなされている。ロールズの正義論やセンの社会的選択理論は、個々の社会システムの役割内容を捨象しており、創発の妙理の極地まで到達できていない。経済学者や政治学者や法学者の社会理論は、創発の妙理を無視しており、社会理論としては不完全なのである。 
  

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by merca | 2008-08-02 10:42 | 社会分析 | Comments(0)
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