実証主義から実演主義へ!!

 実証主義という固定観念に束縛されて社会を語ろうとする者に対する社会学的解脱のために、述べておきたい。 
 
 例えば、日本社会が、民主主義社会であるということを実証してみろという論者がいたとする。法律を調べて日本が民主主義社会であることを実証できるのかと言えば、必ずしもそうではない。また、人々の価値意識を調査することで実証できるのかと言えば、必ずしもそうではない。法律を調べても実際にそのように運営されていなければ意味はない。価値意識を調査しても、実際にそのように行為していないと意味がない。人々が民主主義的に行為、コミュニケーションすることではじめて民主主義社会は創発される。

 要するに、社会は実証されるものではなく、人々が実演した時のみ、発生し、仮にその存在を露にするものなのである。人は社会=物語を演じ観察することでのみ、社会を知ることができる。社会は実証されるものではく、実演されることで、そのリアリティを得る。この点についてのセンスが乏しいものが、実証性に欠くということで、システム論などの社会理論を批判するわけである。

 実証主義による調査は社会の死骸を観察しているだけである。実演主義による観察は生きた社会を捉え、つくりだし、維持する。実証主義者は、社会に何か不動の客観的事実があると思い込み、それを絶対化する思考のドクサに囚われているのである。実証主義者の記述を信仰すると、社会宿命論に陥り、自由がなくなる。
 何度もいうが、社会は、その都度、つくられ、維持され、刹那滅する仮象である。完全無ではないが、区別によって仮に立ちあらわれるのである。実証主義者は社会を絶対有として固定化している。仏教的にいうと、社会は空なる存在である。
 
 実証主義から実演主義への移行こそが知の新しい地平を開くのである。


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by merca | 2008-08-03 08:22 | 理論
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