歴史学は全て非科学的知識。

 (一回性/反復性)、(個別性/一般性)という区別から科学主義や反証主義を観察してみたい。
 原理的に、反証可能性は、反復性のある命題にのみ適用され、一回性の命題には適用できない。
 例えば、「リンカーンはアメリカ大統領になった」「リンカーンは死んだ」という命題は、歴史上の真実であるが、この命題には反証可能性はない。
 一回性・個別性から構成されている命題についての真偽は、反証実験ができず、反証主義の適用外である。しかし、このような命題も歴史学では真実として扱われている。何を根拠にして真実であることがわかるのか? 歴史的事実=真実は、演繹的推論でもなく、実験でもなく、成立っているように思われている。
 科学主義者は、「リンカーンはアメリカ大統領になった」「リンカーンは死んだ」という命題については、科学的に立証できないので、真実ではないと言うのだろうか?それでは、あまりにも歴史学者が可哀想である。ニセ科学批判者のような生粋の科学主義者なら、歴史学という科目は、非科学であり、究極的に真であるかどうかわからない不確かな知識を事実と偽って教えている可能性もあり、子供に有害であると言い出すかもしれない。彼等からすると、歴史学における歴史的真実なるものは、非科学的であり、スピリチュアリズムの知識と同じである。 
 科学あるいは反証主義は、観察対象の一般性と反復可能性(再現性)を前提とした理論である。ありのままの生の世界は、全て個別的かつ一回性から成立っているという前提に立つ池田氏の構造主義科学論からすると、科学(反証主義も)は、全て錯覚となるらしい。
  
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by merca | 2008-09-18 22:57 | 理論
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