科学の思い込み「事実それ自体」

 事実というものが一つであり、それを客観化・規範化し、絶対化する思考には注意である。対象に関する正しい認識=事実は、本当に一つであろうか?対象が単相的な性質をもつのならそうも言えるかもしれないが、対象が複雑で多様な側面をもっている場合、事実は複数存在することになる。また、対象は認識方法によっても異なって現象化する。
 例えば、ある人間についての認識は、男性である、老人である、日本人であるなど、多くの側面で認識しうる。対象についての事実は一つでない。また、認識方法も認識主体の関心によって規定されている。外国人は、その人間を日本人として観察するだろうし、社会福祉のケースワーカーは、その人間を老人として観察するのである。関心相関的に知識は得られる。関心に相関して「として」というかたちでしか人間は認識できない。ここがポイントである。「として」を離れた事実それ自体は存在しない。科学の悪いところは、この「として」を隠蔽し、事実それ自体という観念上の想像物を捏造することである。人々は科学に騙されているのである。認識活動は、全て対象と認識主体の関係性であり、この関係性を認識することで、対象を把握するのである。科学は、この二つを切り離し、対象と認識主体をまるで別物のように扱う。

 科学は、事実それ自体という空想を前提にしてつくられた物語である。科学が真に客観的であろうとするのならば、知識は全て関心に相関的であることを自覚すべきなのである。ニセ科学批判者は、科学的知識を事実それ自体と思い込み、その思い込みからあらゆる文化や知識体系を破壊するのである。
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by merca | 2008-09-27 20:51 | 理論
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