説明可能性に基づく科学論


 自然科学が準拠する世界モデル=公理系は、因果法則が存在し、形式論理学や数学に合致した宇宙観である。素朴実在論的宇宙観と名付けよう。ポパーの反証主義も素朴実在論的宇宙観に基づいた物理世界を前提にしている。因果法則を超えた自由意志論や形式論理学を超えた物語論は、自然科学の外に置かれた虚偽世界となる。
 しかし、素朴実在論的宇宙観では説明できない現象が起きたときに、科学者は様々な宇宙論を展開しだす。ビッグバーン宇宙論や五次元宇宙論など、様々な宇宙論があるが、どれも反証(実験)可能性はなく、反証主義科学論からは科学だと言えないようである。観察と数学による推論などでつくられた宇宙モデルである。疑似科学であると非難されることもあるこのような宇宙論は間違いなのだろうか? 否、宇宙論に求められているのは反証可能性ではなく、説明可能性である。物理現象をよりよく説明することができる宇宙モデルは、それだけ妥当性があることになる。さらに、その宇宙モデルに基づき、個々の物理現象を予測し、予測結果を当てることができれば、ある意味、実証されたことになる。予測実験である。
 社会全体も反証実験が不可能であり、反証可能性を求めることはできない。しかし、社会のモデルはつくることができる。それが社会理論である。宇宙論と同じく、説明可能性が高い社会理論が妥当性をもつことになる。例えば、パーソンズの社会体系論は、社会理論の最たるものであり、個々の社会的行為を説明する能力もそれなりに高く、このモデルによって、ある程度、社会現象の予測も可能である。現代思想家のポストモダン社会論よりも説明能力は高い。
 宇宙論がそうであるように、社会理論も複数存在する。宇宙論が宇宙そのものを写し取ったものではなく、宇宙を説明する道具であるように、社会理論も社会そのものを写し取ったものではなく、社会を説明する道具である。実体そのものではないので、道具は複数あってかまわないのである。

 人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。
人気blogランキングへ

    
[PR]
by merca | 2008-12-07 10:05 | 理論 | Comments(0)
<< 自己観察=社会観察 世界論と真理観の相対主義 >>