2008年 05月 03日 ( 1 )

「疑似科学入門」批評1

 池内了氏の「疑似科学入門」批評1
 
 池内氏は、第一種疑似科学、第ニ種疑似科学、第三種疑似科学の三つに疑似科学を分類している。第一種疑似科学は、占い系、超能力系、超科学系、「疑似」宗教に分類される。第ニ種疑似科学は、科学を装って援用・乱用・悪用・誤用するものである。これは菊池氏や天羽さんがターゲットとするニセ科学と呼ばれるものに該当すると考えられる。マイナスイオンや水伝や血液型性格判断やゲーム脳である。第三種疑似科学は、複雑系を対象とし、科学的に証明が困難で不十分であるにもかかわらず、断定的に述べる学説である。地球温暖化説などがこれに該当する。なお、疑似科学の一分野としてニセ科学=第ニ種疑似科学が含まれると言う考えは興味深い。

 さて、やはり・・・。 
 池内氏の疑似科学論は、次の命題を前提としていることが判明した。
・科学=真理である。(科学主義・・・科学は正しい知識。)
・疑似科学批判の目的は、非真理=嘘である疑似科学がもたらす被害を防止することで ある。(被害主義。)
 ・嘘だから被害をもたらす。(非真理有害主義。)
 池内氏が占いや超能力までも疑似科学に入れることには違和感がある。菊池氏もやはり占いや超能力やスピリチュアルを批判するものの、ニセ科学として批判しているようではない。池内氏が占いや超能力の類いまで疑似科学に入れようとするのには無理があると思った。これらは、科学を装っていないからである。なのになぜ疑似科学なのかよくわからなかった。むしろ科学とは別次元の真理や価値を主張している。非科学であることは当事者や受け入れる人々も端からわかっている。さて、そこで、この疑問点を解くために、「科学」という言葉ではなく、正しい知識=真理と置き換えたらどうだろうか?  
占いや超能力やスピリチュアルは自らは科学とは言わないが、自らは真理であるとは言う。疑似科学の「科学」を「真理」と置き換えれば、池内氏の説は整合性をもつことになる。つまり、池内氏にとっては、疑似科学とは、疑似真理のことである。占いや超能力やスピリチュアルは、疑似真理=嘘であるからこそ、人々に被害をもたらすというわけである。科学で無いもの以外に真理は認めないという立場であり、正しくこれこそ典型的な科学主義と言えよう。ちなみに、ニセ科学批判者の菊池氏が占いや超能力やスピリチュアル批判するのも、それらが嘘だからである。

 科学=絶対的真理(科学的手続きをふまないものは絶対に真理と断定しない立場という意味)というスキーマが観察されるのである。世間には科学的手続きをふまなくても正しいものはいくらでもあることがわかっていない。
 
 疑似科学批判者やニセ科学批判者やその周辺のネット論者たちは、科学を絶対化していないと豪語するが、これは自己の準拠点に盲目としか言いようがない。本当は科学を絶対化して疑似科学やニセ科学を批判しているのである。それを自らは絶対化していないと思い込んでいるが、実は疑似科学やニセ科学を信じる人たちと同一のコードに基づいていることに気づいていない。現状の疑似科学批判やニセ科学批判は、人々が科学を絶対化して信じているという前提で議論を構成する一方で、自らが科学を絶対化していることを隠蔽するというトリックで成立つ議論である。(方法/内容)という区別を再参入することで、このトリックは暴かれる。(ちなみに疑似科学批判に内在する複雑な自己言及的構造は、我がエントリー「疑似科学批判が流行る理由」の論理矛盾的な表現で示した。あるネット上の数学者は、これを単なる論理矛盾=誤謬としてしか観察し得なかったようである。複雑な物事を記述する場合、矛盾的表現をとらざるを得ない場合が多い。確かに形式論理学的には矛盾=誤謬である。しかし、少しでもヘーゲルや西田哲学などの読んでいたら、そんな表現はいくらでも見当たる。哲学的素養の問題である。)
 何度も繰返すが、科学と真理は、疑似科学批判者やニセ科学批判者にとっては、イコールである。科学以外の真理は認めないという一種の絶対主義なのである。いかなる詭弁を弄しようとも、疑似科学批判者やニセ科学批判者は、この信念を前提とせざるを得ないのである。科学システムそのものが、(真/偽)の二値コードによって構造構成されたものであるからである。単純な二分法であるが、これを抜きにしては科学システムは作動しない。はなから真であるか偽であるかを追求することを目的としているからである。池内氏の疑似科学入門のメタコードは、(科学/非科学)というよりも、(真/偽)であると観察できた。

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by merca | 2008-05-03 03:36 | ニセ科学批判批判