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偽薬効果は現象的事実であって科学的事実にあらず!!

 一般にメカニズムを解明するとは、因果関係を解明することである。メカニズムを解明しない関係は、疑似相関のおそれがあり、誤っていることがある。観測された事実は事実ではあるが、科学的には虚偽であることがある。事実が虚偽であることを暴くのが科学の面白いところである。
 例えば、「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」ということが、統計上、観測されたとする。これは確かに事実であると言えるが、科学的事実としては間違っている。
 年齢があがることが原因で持ち家をもつ人が多くなるという結果をもたらすわけではない。そこで、収入を統制すると、年齢による持ち家所有率に差がなくなったとする。つまり、統計的分析の結果、年齢があがると収入も増えるので、持ち家の所有率が増えることがわかったとする。年収が原因で持ち家を買う人が増えるという結果をもたらすという因果関係があることが判明したとする。
 この場合、年齢と持ち家所有率の関係は疑似相関と呼ばれ、嘘の因果関係なのである。

「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」は現象的事実であるが、この因果関係は嘘であり、「収入があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」というのが科学的事実である。

現象的事実
  「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」=嘘
科学的事実
  「収入があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」=真理

 現象的事実は客観的に確かめられたデータであるものの、嘘であり、メカニズムが解明され因果関係が確定した事実のみが、科学的事実と呼ばれるものである。

 これを偽薬効果に適用すると、次のようになる。
 偽薬効果とは、偽薬を本当の薬だと信じ込んで服用するという原因が、身体状況の改善という結果をもたらすということである。信じ込み(原因)→身体現象の改善(結果)=偽薬効果なのである。
 しかし、この因果関係が疑似相関である可能性は高く、本当のメカニズムは解明されていない。信じ込みと身体現象の改善の両者の間に、それを媒介する要因がいくつもあるのではないかと容易に想像がつくわけである。
 偽薬効果は、現象的事実であり、未だ科学的事実の域に達していないのである。現象的事実にしかすぎない嘘を科学的事実だと見なすのは、ニセ科学である。科学的だと称して、偽薬効果という嘘を前提にして、ホメオパシーを批判することは、当然のごとくニセ科学である。

 観測された事実だからといって、それが科学的に本当であるわけではない。現象的事実に潜むメカニズムを解明し、事実こそが嘘であると暴くことが科学の役割なのである。現象的事実としての偽薬効果は、メカニズムが解明されておらず、科学的事実ではないのである。
 このように客観的に観測される事実である現象的事実のメカニズムを解明し、根底にある科学的事実を発見するのが科学の本道であるのに、メカニズム論の誤謬という偏った科学思想に立脚するニセ科学批判者は、非科学的・ニセ科学的になってしまっているのである。
 ニセ科学批判者たちよ!! 偽薬効果というニセ科学に騙されるな!! 偽薬効果こそニセ科学批判の対象になるのである。

  余談
 件のエントリーでトラックバックいただいたニセ科学批判者・第一世代のTAKESANさんの「論宅さんの混乱」という記事の下のSponsored Linkが「ホメオパシー商品ご自宅へ」や「レメディ通販」とホメオパシーの宣伝が表示されているのが痛々しい。なとろむ氏と異なり、せっかくホメオパシー完全否定派なのに皮肉である。なとろむ氏より徹底している点は評価できる。

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by merca | 2011-01-31 22:31 | ニセ科学批判批判 | Comments(0)

「メカニズム論の誤謬」という菊池流科学思想

 先のエントリー「偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。」で一つのことが明らかになった。それは、「メカニズム論の誤謬」という思想をニセ科学批判者たちが共有していることである。
 偽薬効果という現象は、観察されているが、そのメカニズム=因果過程は解明されておらず、科学的根拠はない。しかし、観察されている現象なのだから、科学的に否定できない事実であるという。
 つまり、メカニズムがわからなくても事実として確認されれば、科学的事実であり、メカニズムがわからないから非科学・ニセ科学とするのは誤謬であるという考えである。これを彼らの言葉では、「メカニズム論の誤謬」という。偽薬効果もメカニズムがわからないが、臨床データに基づいて観察される事実なので、科学的事実であるという。
 ニセ科学批判者は、このような論理によって、偽薬効果の存在を肯定する。そして、偽薬効果しかないとしてホメオパシーを批判する。以下の菊池氏の立場にそれは代表されており、このメカニズム軽視の菊池氏独自の科学思想にほとんどのニセ科学批判者は洗脳されている。
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1190130520
 ニセ科学批判者たちは、ホメオパシー批判の穏健派と過激派の対立を越えて「メカニズム論の誤謬」という科学思想を共有している。ちなみに、この対立はニセ科学批判が創始者たる菊池氏の手を離れ、一段階思想的に進歩する契機になると期待していたが、残念ながら、やはりニセ科学批判クラスターには、自由性・多様性はなく、菊池教で統一されているのである。歴史上、一つの思想が発展するためには、分裂し、様々な流派ができることが必要なのである。予言しておくが、知識社会学的には、いずれニセ科学批判者に右派と左派が生ずることであろう。

 さて、私は、正統科学を考える上で、メカニズム(因果経路)が解明されていない現象と解明されている現象の差異は、決定的に重要であると考えている。以下、それについて説明しよう。

 過去に天動説=「太陽が地球の周りを回っている。」は、事実として観察されていた。つまり、事実だと人々に思われていた。確かに人々には直接的には太陽が動いているように客観的に観察される。しかし、その事実は嘘であり、後に「地球が自転している」ことが解明された。
 さらに、重要なことは地動説が「太陽が地球の周りを回っている。」ように人々が錯覚するメカニズムも説明できることであった。誤った仮説の誤り方も解明できる説明能力もあるのである。これこそが純粋な意味での科学的事実のレベルである。果たして偽薬効果にこのレベルの説明能力があるのだろうか? 甚だ疑問である。 
 
 単に観察された現象にしかすぎない偽薬効果を科学的事実と呼ぶことは、天動説を科学的事実であると言っているのと同じである。要するに、見たままではないかということである。科学的事実は見たままの現象ではない。メカニズム=因果関係確定がセットになってはじめて科学的事実となる。
 このことにニセ科学批判者は無頓着である。ニセ科学批判者たちは、メカニズムが解明されていなくても科学的事実たりうるという菊池氏の変な科学思想を継承しているのである。

  観察されることが、イコール科学的事実ではない。いくらそれが客観的であってもである。
 もし多くの人に観察されることがイコール科学的事実であるならば、幽霊や超能力もこれまで多くの人が観察してきたのだから、科学的に実在することになる。偽薬効果を認めるニセ科学批判者の理屈からは、幽霊や超能力を認めざるを得なくなる。幽霊や超能力を見た人たちは、自分たちが見たから否定のしようがないと言う。偽薬で治った人がいるのだから偽薬効果も科学的事実であるというわけである。

 偽薬投与で身体への効果が臨床的に観察されるからといっても、「効く薬だと思い込む」ことが身体状況に本当に変化をもたらしているとは限らない。例えば、薬だと思い込むことで、認知に歪みが生じ、身体状況の変化を全て薬の効果と解釈して認知するようになっているのかもしれない。身体状況の変化は自然治癒が原因なのに、それを薬の効果だと認知するわけである。自然治癒を薬の効果であると錯覚しているだけなのである。これは、偽薬効果ではなく、認知不協和理論による心理現象なのである。この場合、効果そのものが嘘であり、心理過程のみで説明がつくので、偽薬効果は否定される。(認知不協和理論については文末の参考欄を参照されたい。)
 偽薬効果が前提とする「効く薬だと思い込む」ことが原因で身体状況の改善につながるという因果関係は疑似相関関係にしかすぎないかもしれない。例えば、たまたま「効く薬だと思い込む」ことがある患者の精神的安定(リラックス状態)につながり、精神的安定(リラックス状態)が自然治癒を促進するという媒介要因が介在しているとすると、「精神的安定(リラックス状態)は病状の改善に寄与する」というのが科学的事実であって、「効く薬だと思い込む」が病状を改善するということは科学的事実ではない。この場合、「効く薬だと思い込む」が原因ではなく、精神的安定(リラックス状態)による自然治癒が病状の改善の真の原因となる。
 偽薬効果の効果は、定義上、直接的に身体的影響効果がある場合にだけ成立つ。心理過程のみの心理現象ではなく、原因たる心理現象と結果たる身体現象の因果関係が実在しなければ、意味がない。「効く薬だと思い込む」ことが精神的安定をもたらす人もおれば、そうでない人もいる。例えば、疾病利得の人は、病気で仕事をさぼりたいと思うので、薬が効いて欲しくなく、治りたくないと思っているので、精神的によけいに不安定になるであろう。
 
 思うに、ホメオパシーで治ったという人たちは、偽薬効果によって治ったのではなく、自然治癒をレメディの効果と勘違いしているわけであり、認知不協和理論による心理過程のみで説明がつくのである。わざわざ身体現象を伴う偽薬効果などという非科学的なものを持ち出して批判する必要もないのである。
 それにしても、偽薬効果は、科学的にメカニズムが解明されていないわけであり、科学的に解明されていない現象を肯定するのなら、幽霊や超能力も科学的に解明されていない現象として同等であり、肯定されなければならない。
 オカルト信者やマニアたちは、幽霊や超能力は、未だ科学で解明されていないだけであり、いずれ解明される可能性があり、科学的に否定することはできないとよく言う。このような言い分に対して、ニセ科学批判者は非常に毛嫌いするが、科学的にメカニズムが解明されていない点においては、偽薬効果も幽霊や超能力と同じなのである。
 「メカニズム論の誤謬」という菊池流科学思想からすると、幽霊や超能力は科学的に解明されていないが、多くの人に観察されているわけであり、科学的事実となるのである。
 メカニズム解明を科学の条件とするかどうかは、個々人の科学観によるものであり、科学の定義をどうするかという科学哲学上の問題であり、誤謬の問題ではない。
 私はメカニズム解明を科学の条件としたい。少なくとも「メカニズムの解明可能性」は必須条件であると考えたい。そもそもメカニズムが解明できないもの=原因のないもの=世界の根源的偶然性は、宗教の処理する領域だからである。

 参考 認知不協和理論
 認知不協和理論とは、複数の情報に意味的整合性をもたせようとする心理作用をいう。薬が効くという情報を信じている人間は、身体状況の変化という情報を薬の効き目だと認知することで、整合性をもたせようとする。
 ホメオパシーを信じている人にとっては、自然治癒をレメディの効果であると認知することが整合性があることになる。さらに、ホメオパシーによって病状が悪化しても、それは好転反応であるという認知をすることで、レメディの改善効果の兆候として認知されることになる。好転反応は、レメディに効果があるというホメオパシーの物語に整合性を持たせるための概念装置である。好転反応は、新興宗教の信者が苦難を神の試練と見なすことと機能的に等価である。
 要するに、病状が改善しても改善しなくても、レメディ投与には効果があるという概念装置をもつことで、ホメオパシー信者は益々ホメオパシーを信じることになるのである。このような社会心理過程は、既存の宗教社会学の新興宗教論ですでに解明されているが、社会科学に疎いニセ科学批判者たちにはあまり論じられていない。宗教社会学という社会科学による知識から、一応、ホメオパシー批判をすることは可能である。しかし、批判の目的を正当化する立場自体(通俗道徳)が正しいとは限らない。

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by merca | 2011-01-30 00:11 | ニセ科学批判批判 | Comments(3)

偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。

 ニセ科学批判系ブロガーのうちで、ホメオパシー論争が過激化しているようである。その中でも、偽薬効果(プラセボ効果)のメカニズムについて少し興味をもったので、述べておこう。

 偽薬効果とは、偽薬であっても、本当に効く薬や治療法だと患者が思い込めば、一時的に本当に病気が改善するという効果である。心理学でいうピグマリオン効果や社会学でいう予言の自己成就と似ているのである。つまり、ウソが本当をつくりだす現象である。このような現象は、意味システムである心理現象や社会現象のみで可能であると考えていたが、生命体システムにも起こりうる現象であるというのが興味深い。
 言葉の意味内容が物質的世界たる身体に影響を与えるというのは、ある意味、神秘的であり、スピリチュアルである。言葉(意味付与作用)が物質世界たる身体に影響を与えるという因果関係を認めてしまえば、これまでの科学的知識を否定することになり、ニセ科学になっしまうのだろうか?
  多くのニセ科学批判者は、不思議なことに偽薬効果の存在は肯定している。ホメオパシーは偽薬効果しかないと否定することで、ホメオパシーの偽薬効果のみを暗に認めている。新薬開発に関しては、偽薬効果を除外した本当の効果を測定することが科学たる医学の世界では、常識であり、偽薬効果を否定するニセ科学批判者はいない。
 言葉の世界の出来事が身体現象に影響を与える偽薬効果という現象を認めることは、かえって非科学的ではないだろうか?偽薬効果のメカニズムに科学的根拠がないのなら、偽薬効果を認めることは非科学的である。科学的に完全に解明されていない偽薬効果こそが神秘的なのであり、その神秘的現象に基づいてホメオパシーを否定することで、かえって自らが非科学的になっているのである。
 ニセ科学批判者が、ホメオパシーは偽薬効果しかないとして批判することは、非科学的なことである。むしろ、ホメオパシーには、偽薬効果も治療効果もどちらもないという批判が純粋科学主義による批判なのである。ニセ科学批判者たちには、徹底せよと言いたい。
 
 さて、システム論では、意味システム(意識システム)が生命体システムに直接的に影響を与えることはできず、互いに閉じていると考えられている。従って、言葉の意味内容が生命体の活動に直接影響を与えることはできない。治ると念じたたところで病気は治らない。もしかりに、意味システムが生命体システムに影響を与えるとするならば、媒介的なかたちをとると考えられる。
 
 そこで、あくまでも仮説であるが、これまでの科学的知識の範囲内では、現状では、偽薬効果を以下のようにしか考えるしかない。
 それは、偽薬効果が、言葉の意味内容→感情的反応→神経系・ホルモン系の反応→自然治癒力の向上→症状の改善というプロセスからなるという仮説である。さらに、多少の改善の兆候の認識によって、さらなるプラスの感情的反応が起こり、それ以下の過程もプラスになっていくと考えられる。例えば、偽薬を使用して少し改善したところで、周囲の人たちが偽薬の効き目が出て来ていると、集合的評価をすることで、益々偽薬への信じ込みによるプラスの感情が起こり、症状が好転するのである。偽薬効果においては、このようなプラスの循環をつくる社会心理的過程が重要なのである。
 患者が偽薬単体を信じるということだけではなく、医療従事者たちの集合的な演出こそが大きなポイントだと思われる。みんながこの薬や治療法を信じている。少しよくなったことはみんながこの薬や治療法の効果だと思っている。そしてなによりも、みんなが私の病気が治るように願っていてくれるということで、プラスの感情を患者がもつことができ、それが自然治癒力を高めることになり、改善に向かう。
 偽薬を単独に取り出して分析するだけでは不十分で、偽薬を演出する治療共同体のコミュニケーション過程による患者の感情的反応の分析こそが必要なのである。偽薬効果には、このような社会心理過程が介在していることを忘れてはならないのである。
 もう一ついうと、科学的根拠によって効果が実証されているという情報こそが、偽薬効果で一番大切なことである。つまり、科学が真理の王様であり、科学的に実証されていることが信じるに値すると思っている多くの現代人には、科学的根拠があるという情報は絶大な偽薬効果をもつと予想される。科学者たる医者が効果があるとお墨付きを与えた薬なら、偽薬効果はそれだけ高まるのである。皮肉なことに、科学的根拠があると偽るニセ科学の偽薬ほど、偽薬効果は高くなるのである。ただ、科学を信じていない患者には、お守りなどのスピリチュアルなもののほうが偽薬効果はあると思われる。

 以上のような心理・身体過程は、まだ科学的に十分に解明されていないわけであり、仮説にしかすぎないが、この仮説でもって他者を批判すること、すなわち偽薬効果でもってニセ科学批判をすることは、非科学的である。時折、ニセ科学批判者は仮説を科学的真理と思い込み、他者を批判するので要注意である。

 さて、ニセ科学批判者には次のように考える者もいる。
 ホメオパシーは、希釈によって物理的に身体に影響を与える可能性がほとんどないので、物理的因果関係がなく、偽薬効果しかないが、一方、鍼灸、漢方薬、指圧などの東洋医学は、直接的に物理的身体に影響を与えており、科学的根拠が解明される余地があるので、偽薬効果だけではないというのである。従って、ホメオパシーと東洋医学を同列に扱ってはならないというわけである。
 科学的根拠が解明される余地は、物理的な直接的接触によって区別されるかどうかは、議論が起こることであろう。
 もし物理的な直接的接触のみが科学的である条件ならば、臨床心理学における心理療法などは非科学的だとして全て否定されることになるのである。鬱病は脳神経に影響を与える投薬のみが効果があり、心理療法は偽薬効果のみだということになる。偽薬効果のみを認めるニセ科学批判者は、心理屋を敵に回していることに気づいていないのである。
 身体現象に影響を与える心理的はたらきかけは、全て偽薬効果と同じメカニズム(因果経路)をもつということを臨床心理士たちに公言して欲しいものである。いずれ臨床心理学は、精神分析学と同様に、ニセ科学として魔女狩りされる運命にあるのである。その危機感をもつ臨床心理士はまだ少ない。精神病棟に多くの臨床心理士が勤務しているが、ニセ科学批判者によって、心理療法が偽薬効果として断罪され、精神科医による投薬治療のみが生き残るのである。
 
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by merca | 2011-01-23 12:22 | ニセ科学批判批判 | Comments(5)

価値次元相対主義によるニセ科学批判批判

 現代社会は、様々な社会的領域に機能分化している。法律、経済、教育、政治、科学、宗教、福祉、医療、軍事、雇用、芸術、スポーツなどである。各社会領域は、独自の価値をもっており、他の社会的領域の価値に還元されず、対等であることが、成熟社会の完成体である。
 例えば、法システムは、経済システムからは完全に支配されず、経済システムも法システムに完全に支配されないわけである。
 私は、このような機能分化した社会的領域における価値が全て対等であるという考えをもっており、それを価値次元相対主義と呼んでいる。しかし、日本社会の近代化が経済中心に始まったために、経済的価値が他の社会的領域を制御するという構造が残っており、緩やかな価値序列がまだ存在しており、完全に水平的な機能分化を達成できていないことを指摘した。さらに、私は、ベーシックインカムこそが、雇用と経済を分離し、経済的価値を相対化し、水平的機能分化を可能にする社会政策的な処方箋であると考えた。

 それはさておき、このような価値次元相対主義に逆行する思想が存在する。それがニセ科学批判である。というのは、ニセ科学批判は、科学的事実に反する要素が少しでも含まれていると、科学以外の社会的領域であっても、平気で全否定するからである。ニセ科学批判においては、真偽のコードに準拠する科学システムが他のシステムに対して領域侵犯し、制御・支配することになる。科学的事実を最上位の価値とし、経済、法律、教育、宗教など他のシステムよりも優位なものと見なしているのである。

・教育の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反する教育として水伝道徳授業を批判する。
 教育は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、教育的価値があればよい。教育の目的は、社会に適応する人間をつくることであり、その目的に適合的であれば、科学的事実に反していても問題がない。例えば、西洋社会では、キリスト教に基づく道徳教育を行って来た。神という科学的事実に反する存在を前提にして、道徳を内面化させ、社会に適応する人間をつくってきた。科学的事実に反する教育であるが、教育の目的は達しているのである。
 個人的には水伝道徳授業に問題はないと言いたくはないが、科学的事実に反することは教育としての水伝授業の本質的批判にはならない。なのに、科学的事実に反することを根拠に教育批判している。
・宗教の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてスピリチュアル批判を行っている。
 宗教は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、宗教的価値があればよい。宗教の目的は、世界の根源的偶然性に意味付与することであり、科学的事実に反していても問題はない。神や輪廻転生は科学的事実に反するが、宗教的価値はある。なのに、ニセ科学批判者は神や輪廻転生を批判しようとする。
・医療の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてホメオパシー批判を行っている。
 医療は、科学に還元されない価値や目的をもっており、科学はその手段にしかすぎない。医療は病気を治すことが目的であり、科学的事実に反していても、病気が治るのなら、医療的価値があることになる。漢方薬や針などの東洋医学は科学的に実証されていないが、現実にある程度病気が治るから使用しているわけである。ホメオパシーも科学的効果ではなく、偽薬効果による自然治癒でたまに病気が治ることがあるから使用している人がいるのだと思う。
・経済の分野に関しては、ニセ科学批判者が科学的事実に反するとしてマイナスイオン商品の批判を行っている。
 経済=商品は、科学に還元されない価値や目的をもっており、経済的価値があればよい。マイナスイオンは科学的に実証されていないというが、とにかく商品が売れれば企業にとっては経済的価値があるのである。ウソであっても、売れれば企業にとっては経済的価値はある。科学的事実がどうであれ、商品が売れて市場が活性化すれば、経済的に価値があることになる。
・雇用の分野に関しては、ニセ科学批判者は科学的事実に反するとして血液型性格判断を行う。
 雇用の目的は、科学とは関係ない。組織に貢献してくれる人材を雇うことが雇用システムの目的である。科学的に実証されていない血液型性格判断を利用して、企業が人材を雇用しても、問題はない。何を採用選定基準とするかは、企業の好みであり、自由である。血液型性格判断を基準にして雇用して、うまくいかなかったら、企業の自己責任である。企業の雇用システムに科学が口出しする権利はない。

 このように、ニセ科学批判は、科学以外の他の社会的領域の思想や商品に科学的事実に反する要素が含まれている場合、全否定するのである。他の社会的領域の価値判断よりも科学による価値判断が優先される仕組みになっているのである。ニセ科学批判においては、科学は他の社会的領域の監督者として特別な価値が認められているのである。反科学的であっても、その社会的領域における目的が十分に遂行できるのであれば、科学は口出しする権利はないのである。
 科学的価値による社会領域の支配こそが、ニセ科学批判という社会現象の本質であり、これは同時に社会病理でもある。
 価値次元相対主義に基づくと、科学的価値も他の社会領域の価値も同等であり、争うことなく、平和に相対化されるべきなのである。科学的事実を絶対化する価値次元絶対主義こそがニセ科学批判の本質であり、他の社会的領域を支配しようとしているわけである。他者に対してニセ科学批判者が押し付けや指図をすることが多いわけは、科学的価値を絶対化・中心化しているからなのである。ニセ科学批判が流行ると、科学者が社会の中心に君臨する社会、つまり科学主義化社会になってしまうのである。

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by merca | 2011-01-20 00:38 | ニセ科学批判批判 | Comments(0)

ベーシックインカムによる社会革命に備えるべし!!

 全ての国民に対して、最低生活を維持するための所得を給付する制度をベーシックインカムという。基礎所得保証ともいう。この制度の導入に肯定的な政治家も多くいることから、夢ではない話らしい。
 重要な点は、これによって、働かなくても食べていけることも可能となることである。そうなると、ひきこもり、ニート、ヤンキー、ホームレスなどは、大手を振って喜ぶであろう。ひきこもりは、組織労働に付随する対人関係の煩しさから解放されることになるし、またニートやヤンキーは働かず怠けて遊んで暮らせることになるのである。ホームレスにとっては、椅子取りゲームたる社会の競争に参加せずに毎日のんびりと暮らせることになる。皮肉なことに、社会的自立を支援する、ひきこもり支援団体やホームレス支援団体の苦労が水の泡になるのである。
 また、共産主義を唱える意味がなくなる。マルクスが前提とした資本主義社会は消滅することになるからである。ベーシックインカムは、共産主義の存在価値を全否定することになる。全ての人民が労働し、その生産物を共有財産として平等に分配する共産主義の理念からすると、正当な理由がなく働かずに食べていく人間を認めることは原理上できないのである。共産主義では、生産物は全ての人間に平等にあてがわれることになり、そのかわり勤労の義務も平等に生ずるのである。正当な理由なく労働をしない人間という例外は認められないわけである。だから、左翼系や共産主義者でベーシックインカムを否定する者も多い。
 反対に、勤労道徳を美徳とする右翼も精神主義的観点からベーシックインカムを否定するであろう。道徳的な理由から、怠け者は許せないのである。
要するに、左翼も右翼も働かずに食べる人間がいることに耐えられない人種なのである。

 誰かが労働することなしに、社会は成立たないのは事実である。ベーシックインカムは、全ての国民が働かないという選択をした場合には破綻する制度である。もっと厳密に言うと、一定多数の国民が働くことがないと、破綻する制度である。逆にいうと、ベーシックインカムは人間は労働を好む存在であるという人間観に基づいている。
これは社会心理学者マクレガーのXY理論におけるY理論に基づく人間観である。X理論とは、人間は怠け者であり、賞罰がないと働かないという根本仮説である。Y理論とは、人間は自己実現のために進んで働く存在であるという根本仮説である。マクレガーは、マズローの欲求段階説に準拠し、低次の欲求(衣食住)が満たされると高次の欲求を満たすようになると考え、Y理論を支持した。ベーシックインカムが破綻しないためには、Y理論とマズローの欲求段階説が人間科学的に正しいことが前提となる。
 確かに、食べていける財産はあるのに、働く人たちが多くいることも事実である。地域社会においては、自らの生計とは関係なく、自治会長、民生委員、保護司など、公務員がすべき労働をやっている人たちがいる。また、ボランティアをしている学生や主婦なども多くいる。食べていくことと関係のない活動で社会を支えることをしている人たちがいるのである。また、一生食べていける資金がある企業家が、食べていけるから働かなくなることはほとんどない。大企業家は、食べていける財産があるのに、資本の論理によって、よく働くのである。得たお金をまた投資し、資本を増やすために働くのである。
 確かに、こういう人たちはY理論が当てはまるかもしれないが、まだ人口のごく一部である。ヤンキー、ひきこもり、ニート、ホームレスは、X理論かY理論のどちらで生きているのか調査する必要があるのである。ベーシックインカムで一番怖いのは、食べるお金を得るためだけに働いているヤンキーが肉体労働をしなくなり、人手不足で建築業界などが打撃を受けることである。社会分業が破綻することが懸念される。自分の好まない労働につくことを拒否できる社会になるのである。
 また、上意下達による組織労働が破綻するおそれがある。食いはぐれがないから、上司の命令に従わない会社員が増え、会社の経営が成立たなくなるのである。さらに、押し進めると、「いい学校 いい会社 いい人生」という文化的目標も完全否定され、受験競争の脅しから子供たちは解放されるだろう。人生のレールからはずれたら食べていけなくなるという脅迫観念で悩む必要がなくなるのである。教育システムが根底から破壊され、ゆとり教育が復活するのである。
 ベーシックインカムの導入は、根底から社会を変革することになり、その影響力は計り知れないのである。経済、法律、教育、政治、福祉、道徳、宗教など、全ての社会分野に影響をもたらすのである。社会システム論的には、これは、共産主義革命をも凌ぐ、左翼と右翼を消滅させる社会革命である。その影響を全体的に計測することのできる科学力は、経済学ではなく、近代化理論を対象とする理論社会学にしかないのである。ベーシックインカムの導入に際しては、デュルケームの社会分業論、パーソンズとルーマンの社会システム論、ブルデューのハヴィトゥス論など、全ての社会学理論を統合した大理論が求められるであろう。大理論社会学の復権が望まれるのである。

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by merca | 2011-01-15 10:50 | 理論 | Comments(14)