<   2013年 08月 ( 1 )   > この月の画像一覧

「国が滅んでも家族は滅ばず」映画「少年H」によせて

 国家や国民社会が滅んでも家族は残る。映画「少年H」を見てそう思った。私流に解釈すると、これは、国家がなす家族への虐待を乗り越えていく話である。家族の勝利である。国家が勝手に戦争したために、多くの家族の生活が貧困化するなか、主人公の家族も苦しめられるが、しのいで生きていく話である。
 国家の脆さと、家族の強さが対照的であった。また、勝手な戦争で家族の命を奪った国家主義という化物=社会病理を退治するのが、社会学の役目だと痛感した。
 国家を守るために戦争をすることが家族を守ることにはつながらない。国家を守ることと、家族を守ることはイコールでない。国家と家族には、根源的な差異がある。この差異を無視して、家族を守るために戦争をすることは愚かである。
 
 また、社会科学の立場からすると、「国家を守ることは、家族を守ることである。」という仮説は明らかに論理の飛躍がある誤謬である。この誤謬命題を強制されていたのが、戦前の軍国主義社会の国民たちである。
 しかし、敗戦によって、「国家が滅んでも家族は残る」という真理に目覚めた日本人たちは、あっさりと民主主義や普遍的な人権主義を採用し、国家主義を捨て去った。敗戦という絶対的事実の前に、国家が国民を守るという思想が嘘であり、また客観的に見ると、むしろ国家の戦争によって多くの家族の命が失われたことがわかったのである。
 
 してみれば、家族の自律性は、国家の存在を遥かに凌駕する。日本社会でも、朝鮮、中国、ブラジル、ベトナムなど、他国から来た家族が少なからず生活している。彼らは、強固な家族関係や親族関係を維持し、生活している。世界中に国を失った難民は溢れかえっているが、他の社会で、家族で助け合い、生きている。移民が可能なのは、国民社会と家族が分離可能だからである。そして、移民した後は、移民先の社会構造の組み込まれていく。どんな荒れ地でも、強い家族の絆さえあれば、国境を越えて家族は生きていく。
 
 家族システムのコードは(愛する/愛しない)である。愛とは、見返りを期待せずに与えることをいう。経済のような交換原理ではなく、一方的に与えることで完結する関係である。これを相互関係と区別して、非対称的関係という。
 例えば、当たり前のことであるが、障害をもった子が生まれて来ても、親は見返りなしに衣食住を与え続け、子供の幸福に喜びを感じる。子供に将来支えてもらおうとなんか思はない。もし相互的関係が家族の原理なら、障害をもった子を捨てる親もいるだろう。しかし、家族の原理が愛である限り、そうはならない。決して見捨てず、与え続ける。一方的な非対称な関係が家族の本質だからである。 家族関係は利他的で非対称的関係であり、人間が家族で生まれ育つかぎり、限定的な範囲での性善説が正しい。無論、一部の家族においては、それが崩れており、子を虐待する親もいるが・・・。
 
 戦前、国家が天皇を中心とする家族的国家観を植え付けようとした理由は、正に個々の家族の自律性を奪い取とり、「国家を守ることは、家族を守ることである。」を信じ込ませ、人々をコントロールすることにあった。
 しかし、どのような手段であろうと、原理的に家族の自律性を剥奪することはできない。そのような社会はいずれ滅ぶ。国親思想のように国が家族となるような国家観はやめるべきである。
 
 現在、小林よしのりや維新の会など国家主義が流行っているが、国家主義は、家族や個人よりも国家や民族社会を優先させることに思想的根幹がある。しかし、それは、人間が本来的に取り替えのきかない「個別的な家族」で生育するという社会学的真理に反する虚構なのである。
 国家の崩壊は家族の崩壊を招かないが、家族の崩壊は、社会の機能を低下させ、いずれ国家の崩壊を招く。人類社会は、国家主義から普遍的家族主義や普遍的個人主義へと進化していく。これからは、国民社会から世界社会へと思考を切り替える必要があるのである。家族は、国民社会ではなく、世界社会の単位なのである。

人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。
人気blogランキングへ

 
[PR]
by merca | 2013-08-18 22:39 | 社会分析