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右傾化への対抗思想としてのクリティカルシンキング。

 今、世界が荒れている。人類は、(歴史的)事実という言葉に惑わされているのである。
 
 多くの日本人たちが、中国が言うような南京大虐殺、韓国が主張するような従軍慰安婦問題は存在しないと思うようになり、謝罪する必要がないと考えるようになっている。
 
 小林よしのりの「戦争論」というトンデモ本からはじまる新世代の保守右翼思想は、多くの若者たちに流布し、在特会、某国のイージス、KAZUYAなどのネットを中心とする右翼思想家が登場しだした。
 そして、これらのネット右翼思想のおかげで、ネットでは南京大虐殺や従軍慰安婦問題が事実であると主張する日本人はほとんどみかけなくなってしまった。
 おそらく、仮に南京大虐殺や従軍慰安婦問題が事実であると主張するブロガーがいたら、ネット右翼たちから攻撃され、炎上するものと考えられるのである。言論が一元化している状況は異常とも言えるが、つまるところ、南京大虐殺や従軍慰安婦問題が虚構であり、中国と韓国の言いがかりとして、多くの日本人が受け取るようになって来たという証拠である。
 ネットで南京大虐殺や従軍慰安婦問題は虚構であるとの発言が溢れかえっていると、それを見た一般大衆はいとも簡単に南京大虐殺や従軍慰安婦問題は虚構であると思い込んでしまうのである。今や新聞よりもネット言説のほうが正しいと思われる傾向がある。
 
 というのは、一般大衆は、一人の新聞記者の記事よりも、多数の人が支持していることが正しいと信じるからである。
 社会心理学者アッシュの集団力学の実験でも明らかなように、人の判断は多数の人の判断に作用されるのである。また、社会学者トマスの公理「人々がそれをリアルだと信じれば、結果においてもリアルになる」がはたらいているのである。このような社会学や心理学という人間科学の知識から観察すると、ネット言説の多さが、社会的事実を作り出すということになる。
 
 しかし、純粋に物理的リアリティとしての事実だけに向かい合うことができる人たちが日本に唯一いる。ニセ科学批判者たちである。ニセ科学批判が準拠するクリティカルシンキングの立場から、南京大虐殺を分析したサイトがある。
  「目からウロコの南京大虐殺論争」
  http://homepage3.nifty.com/hirorin/nankin00.htm#mokuji
 
 同サイトの山本弘氏は、ニセ科学批判の源流であるト学会なる組織の開祖であり、科学的根拠のないトンデモ本を取り上げて批評、批判する活動をしている。いわゆるトンデモ本おたくである。
かなり昔になるが、戦争論に対してトンデモ本としてレッテルを貼り、論争を繰り広げている。そして、どうみても、科学的には山本氏のクリティカルシンキングのほうが正しく、小林よしのりは間違っている。中国のいうような30万人を虐殺したのは事実ではないが、数万人(少なくとも1万人)は殺害したことは事実であるという山本氏の結論は、妥当であり、正しいと思った。数万人殺害したのなら、十分、謝罪を要求する国際的に正当な理由となる。数万人の南京大虐殺は存在したのであり、その歴史的事実に向き合っていると思われていないので、よけいに中国の反日教育に拍車をかけているのである。数十人しか殺害していないとする虐殺まぽろし派の小林よしのりの戦争論は、物語にしかすぎない。その虚構を真実と勘違いして自己正当化してできあがったのが、ネット右翼である。
 私はニセ科学批判批判者であるが、山本弘氏のクリティカルシンキングによる分析は賞賛に値する。もし中国側と歴史的事実をすり合わすのなら、クリティカルシンキングによって慎重になされるべきである。
 
 一方、小林よしのりの戦争論は、歴史書ではなく、思想書として人々は受け取るべきであったのに、歴史的事実として受け取った未熟な人たちがネット右翼になり、KAZUYAなどの若手右翼思想家を生み出して来た。小林よしのりは、事実に準拠する歴史家ではなく、価値観に準拠する漫画思想家である。だから、自らの漫画思想書によって、日本国民としてのアイデンティティを提供し、多くの人たちの自我統合をもたらし、初期ネット右翼を生み出して来た。実は、人々に日本国民としてのアイデンティティを供給する点では、平和思想、反戦思想を団塊世代の人々に伝えた「はだしのゲン」と同じである。システム論社会学の観点からすると、内容は正反対であるが、「戦争論」と「はだしのゲン」は機能的に等価である。戦争論は、「はだしのゲン」にとって代わり、見事に多数の人々における日本国民としてのアイデンティティの書き換えに勝利したのである。

 ところで、「目からウロコの南京大虐殺論争」における山本氏の結論については、異論がある。これは、山本氏が深く社会学を勉強していないことからくる。山本氏は、日本が中国に謝罪するというのではなく、実際に中国人を殺した日本人が殺された中国人やその遺族に謝罪すべきだと結論付け、日本人全てが謝罪する必要はないと主張する。そして、一部の日本人の属性をあたかも日本人全体の属性と決めつける思考の誤謬(部分の全体化)を差別的認識として批判する。
 山本氏の考え、つまりクリティカルシンキングからは、日本国民は謝罪する必要はなく、殺人の当事者らが個人として謝罪すべきだとする結論となるが、それは科学的には正しい。
 しかし、これは国際的には通用しない論理である。殺人の当事者が個人として謝罪すべきで、関係ない他の日本国民は謝罪しなくていいという主張をすると、中国も韓国も怒るであろう。
 
 中国や韓国は、戦後生まれの戦争に関係のない世代であっても、日本国民なら謝罪しろと求めてくるであろう。というのは、虐殺が国家の軍隊組織の役割として遂行されているかぎり、国家の責任となり、同時に国家の責任とはそれを支持した国家に属する国民の責任となるからである。日本人は、個人責任はないが、日本国民の役割行為として反省・謝罪する必要があることになる。少なくとも自虐史観の国家観からはそうなる。一個人として、あるいは一人の人間として、謝罪するのではなく、日本国民として謝罪することになる。
 戦後日本においては、反戦平和思想と平和憲法を尊重し、侵略戦争を反省することが日本国民の役割義務となってきた。つまり、日本国民の国際的役割概念の中にアジア諸国への謝罪と反戦の誓い、平和憲法遵守が含まれていたわけであり、右翼が批判する自虐史観の左翼知識人たちは、反日・売国奴であるどころか、かえって国際社会における日本国民の役割義務を果たしていたことになるのである。ちなみに、この日本国民の国際的役割に意義申し立てをしたのが他ならぬ戦争論である。
 従って、実は、社会学的には、右翼よりも、戦後民主主義者のほうが義務として平和憲法の精神を遵守しており愛国的なのである。この点、全く誤解されているようである。
 
 話を戻すと、山本氏の結論は、確かに自然科学的には正しい結論であるが、役割存在という社会的次元についての認識がないめために、社会科学的には間違った結論となっているのである。
 もし国家がなければ国家の役割としての軍隊もなく、戦争もなく、虐殺は存在しないわけである。虐殺の主体、犯人は個人ではなく、国家共同体=社会という化物なのである。この化物が人々に役割義務を内面化させることで、戦争という殺人をもたらすのである。それを殺人した軍人たちが個人として謝罪することだけですませるのは筋違いである。
 部分の全体化は認識論的誤謬であるが、部分の中に全体が入り込み、社会的なるものが創発されると、この誤謬が正しくなるのである。

 とはいえ、ト学会開祖である山本氏やニセ科学批判者たちの批判的思考が、虚構に彩られた吉本隆明などの戦後民主主義にとってかわり、右傾化に抗して、日本の平和主義を支える思想になる可能性がある。
 右翼に負けた戦後民主主義者はだらしないが、クリティカルシンキングなら、小林よしのり、在特会、KAZUYAなどの右翼思想に対抗できると思う次第である。思想多様性のためにも必要である。

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by merca | 2015-01-24 11:19 | 社会分析