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祝 人気ブログランキング社会科学部門1位

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              放浪の社会学ブロガー 論宅より

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by merca | 2016-01-05 00:55 | Comments(0)

社会構築主義による観察 言葉(概念)が現実をつくる。

 社会構成主義における、言葉(概念)が現実をつくるとはどういうことか?
 それを説明してみたい。
 つまり、それは、言葉の意味する役割や機能を遂行することで、あとから現実が構成されるというメカニズムのことである。言葉が先にあり、後から認識対象が形成されるというわけである。
 簡単な例でいうと、一本の竹竿があり、ある人が釣り竿と見なし、釣り竿として使用できれば釣り竿となるし、別の人が武器と見なし、武器として使用すれば武器となる。また、さらにまた別の人が物干竿として使用すれば物干竿になる。このように一本の竹竿について、釣り竿、武器、物干竿という概念を付与し、そのように機能すれば、本当に釣り竿、武器、物干竿という認識対象が出来上がり、実在することになる。
 そして、釣り竿、武器、物干竿という三つの認識は、どれも正しく、相対主義となる。一つの対象に複数の認識が妨げ合わず成り立つわけである。認識主観の側に認識の原因があり、認識主観のもつ目的に応じて、複数の真理がある世界となる。一つの真理しか認めない自然科学とは異なり、社会科学の世界では複数の真理が成り立つ相対主義の王国となる。 
 要するに、以上のように、何々として見なして使用することで、後から認識対象が構成されることになる。

 また、別の角度の例をあげてみたい。例えば、教師は教員資格に合格して生徒に教えるという役割を遂行することで教師として世間から認められる。役割存在は、役割を遂行し、役割が他者から承認されてはじめて役割存在となるわけである。教師は最初から教師になる人物に内存していた性質ではなく、役割という概念が先にあり、役割付与とその遂行を通して後から現実が形成されることになる。
 一般化していうと、言葉を付与され、その機能を果たしたり、その役割を遂行することで、事後的に社会的現実が形成されることになる。
 虐待という言葉が人々の相互作用を通して虐待をつくり、セクシャルハラスメントという言葉が人々の相互作用を通してセクシャルハラスメントをつくる。感情のレベルでも、親からの体罰的躾を虐待と解釈することで、あとから虐待を受けたという恨みの感情が生まれることがある。感情さえも後から言葉によってつくられる。犯罪行為も、法律による裁判を通して犯罪として社会的に構成される。
  このように、社会的事実においては、言葉(概念)が先にあり、後から現実が構築される。ポンイトは、後から構成されたとしても、認識対象が全くの無ではなく、実在するものとして人々の前に現象化するということである。社会的事実は、人々の意識(意味世界)の外にあるのではなく、意識を離れては成り立たない意存的対象ということになる。社会構築主義の立場からは、人々の意識から全く独立した自存的対象としての社会はあり得ないと結論付けられることになる。ちなみに、社会のメカニズムや構造は、人々の意識から独立して実在する自存的対象であると主張する批判的実在論の立場とは全く異なるわけである。
 
 そこで、種々の分類概念や分析概念をつくりだす社会学者が気をつけないといけないのは、自らがつくった社会理論が社会思想として人々に作用し、本当に社会的事実となることである。いわゆる予言の自己成就である。社会学理論が社会をつくるのである。マルクス主義がそれである。
 批判的実在論も例外ではなく、批判的実在論の科学観が社会をつくるのである。社会構築主義の観点からすると、近代社会における批判的実在論の役割は、科学を確固たる真理として社会に流布し、科学を正常に機能させることである。

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by merca | 2016-01-03 12:26 | 理論 | Comments(0)

反社会学講座の盲点をつく・・・批判的実在論の観点から

 反社会学講座は、ほとんどの場合、人々の抱く常識を統計的データや史実によって否定し、常識と反対の命題を提示するという脚本で出来上がっている。これは一見すると、常識の根拠を問い直す社会学の方法とよく似ている。
 しかし、この脚本が読者に功を奏するのは、統計的データや史実こそが客観的な事実であるという常識が人々に流布しているからである。もし人々が統計的データや史実こそが客観的事実であるという真理観・科学観を抱いていなかったら、何のリアリティもパオロ氏の説に抱かないであろう。統計的データは、科学でもなんでもなく、特定の観点から現象を記述したものであり、様々な諸要因から生じた偶然の産物にしかすぎないのにである。 
 このように、パオロ氏は、多くの人々に共有されている共通の真理観・科学観を利用して逆説的な自説を真実に見せかけているのである。
 ここで、もしパオロ氏が本気で自説が正しいと思っているのなら、「統計的データ=客観的事実」という世間の常識に自らが染まっていることになる。
 パオロ氏は人々は常識や通説に騙されていると主張するが、自らも社会の常識に騙されていることになるのである。きちんと科学哲学を知っていれば、「統計的データ=客観的事実」という短絡的思考に行き着くことはない。また、自己の論理を自己適用しないところがパオロ氏が社会学でない証拠でもある。 
 
 具体的に示そう。
 さて、パオロ氏は、昔に比べると少年犯罪は減少しているという統計データでもって、古い世代の人間は今の世代の人間よりも凶悪であると結論付けている。本当にそうか?
 実のところ、これは、端的に社会条件を無視した議論である。戦後間もなくの日本社会と現代日本社会とでは、全く社会条件が異なる。戦後間もなくは、経済的、政治的にも不安定な社会であり、食べるのに困る人たちで溢れかえっていた社会である。また、教育制度や刑事政策制度も今のように進んでいない。そのような不安定な社会では、犯罪が多発するのは当然である。秩序は緩み、生きていくために犯罪をする人たちも多くいたわけである。
 
 このような社会条件を無視して、古い世代の人間は現代の世代の人間よりも凶悪であるというのは全くの戯論である。過度の孤立、貧困、失業が犯罪を生み出す要因になるという犯罪発生のメカニズム、それと犯罪抑制要因である刑事政策の進歩を無視した非科学的思考である。
 同一の社会条件のもとで、犯罪が減少したのなら今の若者のほうが凶悪でないと言えるが、このように著しく社会条件が異なるのに同列に比較し評価する彼の手法は明らかに科学的に間違いである。
 
 また、逆に戦後社会が安定して教育制度も充実化して来たにもかかわらず、犯罪をする現在の少年の方が凶悪化しているとも言えるわけである。殺人をしてみたいから殺したという理由のない殺人=脱社会性の少年による猟奇的犯罪のほうが明らかに凶悪である。
 社会学者宮台氏の分析のほうが優れているのである。質的観点からいうと、裕福な家庭に育ち理由なき猟奇的殺人をする現代の少年のほうが、貧困にあえぎ食うに困って強盗する戦後間もなくの多数の少年よりも明らかに凶悪である。

 他にも、パオロ氏は、近代化論を無視して、前近代社会である江戸時代の日銭稼ぎの就労者と後期近代社会である現代のフリーターを同列に扱い、フリーターになることを奨励したりしている。社会条件が全く異なるのに、過去の日本人と現在の日本人を単純比較し、昔はパラサイトシングルやフリーターも肯定されていたみたいな説を唱えている。 

 いずれにしろ、ほとんどパウロ氏の議論は、故意かどうかわからないが、社会条件を無視して、比較できないものを比較するという過ちを犯している。この過ちは、「統計的データ=客観的事実」と考える統計的実証主義の科学観にありがちな誤謬である。パウロ氏には、批判的実在論を勉強することを勧めたいものである。

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by merca | 2016-01-01 22:47 | Comments(0)