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内海医師の精神医学批判への批判は、ニセ科学批判批判となる!!

 私は、先のエントリーで、内海医師の精神医学批判がニセ科学批判であると認定した。その理由は、以下のとおりである。

 理由
 内海医師のいう精神医学(薬物治療)はニセ科学の定義に合致している。そして、内海医師はそのような精神医学に対して批判を行っている。それ故、内海医師による精神医学批判はニセ科学批判である。

 私が採用するニセ科学の定義は、第一世代のニセ科学批判者たちが作成した定義に基づいている。
 「ニセ科学批判まとめ%作成中」
 http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/14.html
 同サイトの定義によると、

条件その1 
「科学でないもの」のうち、反証可能なだけではなく、すでに反証されてしまっているもの (間違った科学)に該当する。内海氏の指摘に従えば、精神医学における薬物療法の根拠であるセロトニン仮説は、すでに否定された仮説である。

条件その2
「科学を装っているもの」にも該当する。次のうちに一つでも該当すればよいという。

1 情報の発信者が科学だと誤解させる意図を持っているもの。
 
 通常、近代医学は科学であるが、近代医学の1部門として精神医学が存在することになっている。大学に精神医学という学問が科学として存在している。
 薬物療法の根拠であるセロトニン仮説が間違った科学であるにもかかわらず、多くの医者がそれが科学的に正しいと宣伝している。医者自身が間違った科学だと思わずに科学と思って誤解し、その誤解に基づいて患者に指示する。社会ぐるみの誤解であり、「精神医学は科学である」というのは迷信と機能的等価である。

2 通常の理解力と常識をもってしても科学であると誤解しうるもの。
 
 医学を知らない一般人は、当然のごとく、精神科医の治療が科学的根拠に基づいていると信じているわけであり、だからこそ精神状況に変調を感じたら精神科医を訪ねる。

3 実際に誤解した人が無視できない数存在すること。
 精神病患者の数だけおり、その数は膨大である。

 このように「ニセ科学批判まとめ%作成中」というニセ科学批判者たちのバイブルに従うと、精神医学の薬物治療は、条件1と条件2に該当し、ニセ科学ということになる。セロトニン仮説に基づいて投薬治療を患者にすすめることは、間違った科学であることがわかった後も「間違いではない(可能性がある)」と強弁していることになり、ニセ科学となる。

 しかし、このように内海氏の精神医学批判がニセ科学批判に該当するにも関わらず、どうやらニセ科学批判クラスタにとっては、ニセ科学批判として見なすことに反対であることが明確になった。私が考えるに、それは以下のような理由によると考えられる。

1 ニセ科学批判認定権の独占化

 社会コミュニケーション論的には、今回の精神医学批判=ニセ学批判であるという発見が、ニセ科学批判批判者である私こと論宅を介して発せられたことにより、先入観を持つニセ科学批判クラスタたちが拒絶反応を起こし、同調しなかった。
 もしこれがニセ科学批判顧問の菊池氏やニセ科学批判クラスタのリーダーのNATROM氏から発せられたのであれば、すぐさまニセ科学批判として認定され、幅広く流布し、ホメオパシーどころではなくなり、内海氏の精神医学批判活動の追い風となったであろう。
 社会心理学におけるコミュニケーションの二段の流れ説からすると、オピニオンリーダーの解釈評価に左右されることになるわけである。つまり、何がニセ科学であり、何がニセ科学批判であるかという認定権は、ニセ科学批判クラスタのオピニオンリーダーたちに握られているのである。その意味で、様々な論者が自由にニセ科学批判をする権利はなく、ニセ科学批判の自らの思想的可能性を狭めている。
 ちなみに、あまり知られていないが、実は、私もニセ科学批判をしたことがある。バクスター効果、人工意識に対するニセ科学批判である。

2 ニセ科学批判はいつも正しくなければならないという固定観念。

 科学が間違うことがあるのと同様に、ニセ科学批判も間違うことがある。間違ったニセ科学批判もニセ科学批判である。(内容/形式)という区別に準拠していうと、非科学であるにもかかわらず、科学を装うものを批判するという形式的定義に合致すれば、ニセ科学批判となる。仮に内容的に内海氏の精神医学批判が間違っていも、形式上、ニセ科学批判となる。
 はなからニセ科学批判は内容的に無誤謬であるべきであるという必要はない。民主的に、議論の上、結論を出せばいい訳である。ニセ科学批判クラスタたちが、はなから自己のニセ科学批判は正しくなければならないという固定観念があるために、自分たちが間違っていると思うニセ科学批判を排除してしまっている。内容が間違いであろうがなかろうが、形式的・手続き的にはニセ科学批判であれば、内容はあとの問題なのである。
 ニセ科学批判が絶対主義だと批判を受けるのは、このような理由にもある。正しくなくても、ニセ科学批判に分類されるものをニセ科学批判として組み込む包容力にかけているのである。

3 ニセ科学批判クラスタのニセ科学批判の目的は、既存の科学的権威による秩序維持であるため。

放射能被害についてニセ科学批判クラスタは、放射能安全を強調する側=原子力安全神話側にたっている。つまり、真摯な科学を捨てて、既存の社会秩序が壊れてパニックにならない方向を応援する傾向にある。既存の社会秩序維持のために必要な学説を防御しようとしている。早川教授は、次のようなエントリーでその本質を射抜いている。
 ニセ科学批判運動の真の目的
 http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-508.html
 同じく、既存の薬物治療を中心とする精神医学の科学性が否定されると、これまでの精神医学の科学的権威が崩壊し、精神医療の世界の秩序が乱れ、パニックを起こすおそれがある。そのような反体制的な精神医学批判をニセ科学批判として認めることはできないわけである。だから、これまで否定しても社会的影響のほとんどないカルト傾向のあるトンデモ学説がニセ科学批判のターゲットになってきたのである。内海医師のように巨大な科学的権威に反抗する勇気はない。
 
 結論をいうと、ニセ科学批判クラスタは、内海氏の精神医学批判を批判することで、ニセ科学批判批判をしていることになるである。ニセ科学批判者はニセ科学批判批判者に変貌することがわかった。
 形式に準拠する私のようなニセ科学批判批判者とは異なったかたちで、内容に準拠してニセ科学批判批判をしているのである。自らがニセ科学批判批判者となっていることに、ニセ科学批判クラスタは気づいていないのである。

追加
 平成25年2月10日現在で「ニセ科学批判」というワードをグーグル検索したら、社会学玄論がトップに出てきた。すでに、ニセ科学批判に最初に興味をもった人たちは私のブログをまず閲覧することになる。皮肉なことであるが、これで新しいタイプのニセ科学批判の流派が誕生するかもしれない。

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by merca | 2013-02-09 11:25 | ニセ科学批判批判

精神医学はニセ科学か? 内海医師のニセ科学批判。

  ニセ科学とは、科学でないのに科学を装うことで、人を騙す学説や商品のことをいう。さらに、そのような学説や商品をニセ科学として摘発し、クレーム申し立てをすることをニセ科学批判と呼ぶ。ホメオパシー、マイナスイオン、水からの伝言、血液型性格判断などがニセ科学批判の対象とされ、ニセ科学批判運動が盛んにネット上を中心に行われてきた。そして、対抗レトリックとしてニセ科学批判批判も形成され、ネット議論を盛り上げてきた。
 ニセ科学批判はしばしば「水からの伝言」のような非科学と簡単に分かる対象を標的にばかりしているという批判を受けてきていたが、今回、それを覆すようなニセ科学批判が現れた。それが、医師内海聡氏による精神医学(特に薬物療法)に対するニセ科学批判である。同氏の著作「精神科医は今日も、やりたい放題」における精神医学に対する批判は、ニセ科学批判という言葉は使用していないものの、内容はニセ科学批判そのものだと言っても過言ではない。同氏は、精神医学を非科学と断定し、患者を薬漬けにして騙していると喝破している。もしかりに同氏のニセ科学批判が正しければ、大変なことになる。多くの精神病患者が科学の名のもとに騙され、迫害されて続けてきていたことになるからである。これは、ホメオパシーどころの被害の問題をはるかに越えおり、社会ぐるみの詐欺行為ということになる。同氏はこのような医学会を震撼させる爆弾を投げたわけであるが、なのにあまり流行っていないという現状がある。それに、ホメオパシー、マイナスイオン、水からの伝言、血液型性格判断などを批判してきたこれまでのニセ科学批判クラスタたちが、内海聡氏の精神医学に対するニセ科学批判に同調する兆しが全く見られない。重要なニセ科学批判であるにもかかわらず関心を示さないのはどうしたことかと思う次第である。非科学と一目瞭然であるホメオパシー医療は叩くが、精神医学は権威と伝統があるので怖くて叩かないということであろうか? ニセ科学批判に好意的な精神科医香山リカは、内海氏のニセ科学批判をどう思っているか知りたいくらいである。

 内海氏のニセ科学批判の要点は、精神の症状に対して科学的に精神疾患の原因が解明されていないにもかかわらず、脳内の異常として決めつけ、科学的に効果が実証されていない危険な薬物で治療しようとするところにある。例えば、うつ病の原因とされてきたセロトニン説は、実証されておらず、科学的事実ではないという。また、精神科医が異なると、同一の患者にも異なった診断名が下されることがあり、科学的ではなく、主観的判断によって病名がつけられているという。主観的判断で適当に病名をつけられ、それに見合った薬物の服薬を指示され、結局、製薬会社の利益になっているというわけである。さらに、家族と医者が組んで性格が偏った扱いにくい子供を閉鎖病棟に隔離する手段として、精神医学が利用されているという。また、明確な科学的根拠がないのに、多動性障害やアスペルガー症候群というレッテルを貼り、精神薬を投与し、その衝動性をコントロールし、社会適応させることはよくある。学校教育においても、多動性障害やアスペルガー症候群のレッテルを貼り、不適応児童を教育の現場から医学の現場の領域に排除していることもある。さらに、刑事政策においても、心神喪失者等医療観察法という制度があり、精神疾患のある犯罪者を刑事司法の領域から医療の領域に排除している。
 メンタルヘルスについても、うつ病は心の風邪というスローガンでうつ病患者を増やし、心療内科への敷居を低くし、投薬治療の機会が増え、製薬会社が儲かっているという。新型うつ病という病名を開発し、煩しい職場の対人関係から逃避するための疾病利得を簡単に得ることができるようになった。生活保護の受給理由として、うつ病のために稼働不可能とするのもよくある。
 
 内海氏の精神医学に対する批判は、単なるニセ科学批判にとどまらず、社会批判も射程に入れている。社会学的にいうと、精神医学は、社会の様々な分野において、一定の機能を有しており、今やその診断なしには社会は回らないほど多くの役割をになっている。このように社会の仕組みに深く食い込んでいるのは、精神医学が科学であるという前提があるからである。占いで大殺界だから休職したいというのは通らないが、精神科医にうつ病の診断をもらって休職するのは正当化される。究極的に、占いも精神医学も非科学として同一なのにである。精神医学が科学であると社会から認定されているからこそ、これらの社会的機能を発揮し、現代社会は回っている。もし科学でないことが事実であり、それが人口に膾炙すれば、社会はパニックに陥るであろう。原子力安全神話と同じ理屈である。
 精神医学が科学を装うことで、社会は回る側面はあるものの、精神薬大量処方問題などによって個人の人権が侵害されている問題は無視できない。うつになって医者にかかり、薬漬けになって調子が悪い人をよく見かけるのである。うつ病と自称する方のブログは溢れており、大量服薬の記述などをよく見かける。精神薬大量処方問題の被害者が声をあげているらしい。
 
 社会が既存の領域で処理できないノイズを全て精神医学の領域に委ねてしまっていないだろうか? 唯物論者が心霊現象や超能力などの超常現象を精神疾患として処理しようとするのと同様に、不適応児童、触法障害者、メンタルヘルス、生活保護の怠者などの社会的ノイズを全て精神医学に委ね、処理しているわけである。精神医学を純粋な科学として回復させるためには、社会の要望による精神医学の多機能化現象を食い止め、本来の姿に戻すべきかもしれない。
 その意味で。脳の異常に精神疾患の根拠を求める薬物療法ではなく、カウンセリング中心のフロイト学派の精神医学の復活を望むのである。現在、純粋にフロイトの精神療法に忠実な精神科医は日本にも少なく、異端視され、薬物治療派から排除されていると思われる。心の病を個人の意味世界及び環境世界の病として捉え返すことが必要なのである。
 
 次のような事例を考えてみよう。 
 会社が倒産し借金して失業した時に、気分が落ち込みうつ状況になった。心療内科を訪ねてうつ病と判断され、薬を投薬された。例えば、こんなケースなら、弁護士に相談して破産宣告をしたり、占い師に今は辛いが必ず将来は復活すると予言してもらったり、カウンセラーに話して気持ちをうけとめてもらったり、宗教に入信し価値観を変えるなどし、元気になって治るのではないかなと思う。極端な話し、宝くじがあたって一億円が入ってきたら、薬を飲まなくても、この人の落ち込み状態は治るのである。これは、意味世界の喪失に起因する気分の落ち込みなので、脳とは関係ないのである。
 また、職場の上司にいじめられてうつ状態になって会社を休み、死にたいと思い、心療内科を訪ねてうつ病と判断され、薬を投薬された。よくあるケースであるが、これについても、この職場の上司がいない職場を確保するか、もっとよい別の仕事に転職できれば、薬を飲まなくてもよいである。パワーハラスメントで上司を法的に訴えて慰謝料を請求したり、職業安定所の相談員に適職を紹介してもらえれば、治るのである。環境を変えるだけで、薬はいらない。これは社会環境の問題であり、脳の障害の問題ではないのである。
 要するに、これらの事例のように外的ストレスが原因で精神に異常を来している場合、免疫学的には原因となるストレス要因を除去することが解決となり、精神薬はなんら解決の策とはならないのである。すなわち、精神医学ではなく、法律学、社会学、心理学、経済学、場合によっては占いや宗教によって治る問題なのであり、それを精神疾患として扱うのはナンセンスであり、問題のすり替えにしかすぎない。
 このようなケースで精神科や心療内科を受診し、自己に精神疾患があると思い込み、薬物治療を受け続け、医者と製薬会社が儲かっているというわけである。
 また、怠け者やひきこもりが、精神科からうつ病や適応障害として認定されることで不就労の理由が正当化され、生活保護となって国家予算に負担をかけていないだろうか? 社会的に孤立化したメンヘル系の若者やホームレスに多いケースである。しかし、もし精神医学がニセ科学であると社会の多数が思い出したら、このような不正はまかり通らないことになるだろう。精神疾患による生活保護よりも就労支援による就職のほうが明らかに正しいのである。内海氏のニセ科学批判は、既存の精神科医だけではなく、さぼりのニセ弱者にとっても脅威なのである。
 私流に結論を言うと、多くのうつ病は、社会病理学や臨床社会学によって治るのである。臨床社会学士なる職種があれば、社会資源をコーディネイトして、社会学的処方箋を出すことができると思われるので、意味世界と生活環境の改善で治る落ち込みに関しては、任せてほしいくらいである。

 最後に、ニセ科学批判クラスタが内海氏のニセ科学批判に同調してこない理由がわからない。ニセ科学批判者のリーダーであるNATROM氏は医者であるが、精神医学をニセ科学と思わないのだろうか? 内海氏の精神医学批判は、内容が厳密に正しいかどうかは精神医学肯定派との論争を見てから判断すべきだと思うが、はじめて学会の権威に対抗した勇気あるニセ科学批判である言えよう。

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by merca | 2013-02-03 11:14 | ニセ科学批判批判

科学と疑似科学の境界線は恣意的である。

 ニセ科学批判クラスタのサブリーダーである、なとろむ氏が早川教授と議論しているのを見つけた。しきりに、なとろむ氏は、ニセ科学批判批判者である私の議論を薄っぺらいと批判している。
  http://togetter.com/li/69786
  http://togetter.com/li/77766
 しかし、ニセ科学批判の本質が科学主義を利用した通俗道徳主義であるという私の分析は、いまや多くのニセ科学批判批判者たちが共有している認識であり、社会学的にも正しいと考えられる。社会運動論的には、菊池派のニセ科学批判は科学主義と通俗道徳という二重構造をもつことで、議論に負けない正論となっており、その正論にのっかりたがるネット論客たちが菊池氏のもとに参集し、現在のニセ科学批判クラスタが生成した。正論に安住してネット議論できるニセ科学批判という思想は、ネット議論好きの人たちが寄生するネット思想として急速に流布していき、彼らの自尊心の拠り所となった。ここまでの分析は、普通の社会学者なら誰でもわかる部分である。
 そしてさらに「ニセ科学批判」とか「ニセ科学批判批判」という言葉が多くのブロガーにコミュニケートされ、これらの言葉に多くの意味が付与されるようになり、ニセ科学批判議論は一つの確立したジャンルを形成してきた。このような思想伝達のコミュニケーション過程を分析するのが社会学の役目である。ニセ科学批判者たちが自分たちと反発する論者と議論することにより、第三者=世間の観察に晒され、好むと好まざるに関係なく、ニセ科学批判の一定の社会的なイメージが構築されていくわけである。私はニセ科学批判について自己のブログで言明することで、このような社会的過程を促進させたと思っている。
 多くの人たちにコミュニケートされて出来上がったニセ科学批判という言葉にまつわる意味や価値を受容できない者はニセ科学批判から卒業していった。それがTAKESAN氏である。同氏は、ニセ科学批判がコミュニケートされる社会過程が自分たちの意図せざる方向に暴走する恐ろしさを嗅ぎ取り、ニセ科学批判という言葉から距離をとったと思われる。
 また、ちなみにニセ科学批判クラスタが平川氏のSTSに噛み付く現象も興味深い。STSにはニセ科学批判クラスタたちを脅かす要素が隠されていると見ている。

 さて、なとろむ氏は科学と疑似科学の境界線について以下のように疑問を呈している。
   http://twitpic.com/3egpj3
 ここでは、グレーゾーン論の例として、白と黒の明度のスペクトラムが取り上げられている。結論からというと、限定付きで線引きは可能である。まず、任意の二つの明度の比較は可能だと考えられる。異なる明度Aと別の異なる明度Bを比較し、どらちが黒に近いか比較することができ、その中間点に線引きすれば分けることができる。比較できるということは、比較するための判断基準があるからである。それは光の反射量である。光の反射量という連続性尺度が隠蔽されているのである。科学と疑似科学が連続的であっとしても、比較する判断基準が必ず隠されているのであり、任意の二つの点を比較することで区別可能となる。
 さらに、実は、ニセ科学批判者が採用するグレーゾーン論は、より科学的かどうかを比較する判断基準そのものが論者によって異なり、曖昧であるという事実を隠蔽する手段である。逆にいうと、曖昧な量的な思考で科学と疑似科学を分けているだけであり、はなから質的な二分法で分けるという発想を理由なく排除している。ニセ科学批判者は、科学であるかどうかの問題について、量の問題として捉え、質の問題として捉えることを避けているのである。例えば、どこまでが明るくてどこまでが暗いのか、どこまでが寒くてどこまでが暑いのかという量の問題は、それを判断する主観に委ねられる。同じく、科学であるかどうかを量の問題として捉えると、どこまでが科学でどこまでが科学でないかは、それを判断する主観に委ねられる。科学を量の問題として捉える限り、科学と疑似科学の境界線は、ニセ科学批判者の主観すなわち恣意性に委ねられることになるのである。そして、自分たちの恣意的な判断を客観に見せかけて、非難対象にレッテルを貼るのがニセ科学批判者の常套手口である。
 そもそも、ある現象に対して、観察道具として連続性尺度を採用するか、質的二分法を採用するかは、観察者の全くの恣意的な事柄である。ニセ科学批判者は、科学という知識に対して、連続性尺度を適用する必然性があるかのように装っているわけである。連続性尺度の場合、任意の点を基準にして、白黒の区別をつけることになる。つまり、任意の基準点は、判断者の恣意性や価値観に委ねられることになる。ニセ科学批判者による科学と疑似科学の区別は、恣意性や価値判断が混入しているので要注意である。恣意性に科学という名前を使うことで正当性があるように見せかけているのである。
 ニセ科学批判者は、科学とは何にかという本質的問題から逃避し、非難対象にニセ科学のレッテルを貼ることで我こそは正当科学だと自己満足しているのである。

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by merca | 2012-02-25 09:58 | ニセ科学批判批判

代替医療としての臨床心理士の心理療法

 一部の臨床心理士は、ホメオパシーを使用しているらしい。「ホメオパシー」と「臨床心理士」を一緒にネット検索したら割とヒットする。私の知合いの臨床心理士に聞いたら、自らレメディを使用し、ホメオパシーは偽薬効果でないと断言した。驚いた。

 臨床心理学という人間科学は、心理学的に実証された知識や理論を応用して、心の病や精神的な悩みを解消する学問であると習ったし、実際、そうであると考えたい。臨床心理士を目指す女子大生はかなり多く、今や花形職業である。
 実際、臨床心理士は精神病院に勤務することが多く、薬物療法の補助としてカウンセリングなどの心理療法を行っている。認知行動療法やSSTなどは、心理療法のなかでもよく使用されている。聞く所によると、刑務所などでも性犯罪者の改善更生のために利用しているという。国家が科学として心理療法たる認知行動療法を認めているということである。ちなみに、統計大好きの犯罪学者浜井浩一氏は臨床心理士でもある。
 しかし、未だに臨床心理士の心理療法には保険が利かず、代替医療の枠組みで扱われているのである。厚労省の官僚たち=国家は、易々と臨床心理士に科学のお墨付きを与えないようである。
 確か日本の臨床心理学の祖は、ユング系の心理学者河合隼雄であり、大乗仏教思想が色濃いスピリチュアル系の学者である。河合隼雄の「カウンセリングの実際問題」は名著であり、多くの和製カウンセラーに多大な影響を与えてきた。

 科学的に実証されていないが、医療現場で使用されている様々な代替医療が存在する。鍼灸、アロマセラピー、指圧、漢方、カイロプラテックなどもそうであり、臨床心理士による心理療法もその一つである。また、ホメオパシーもそうである。西洋医学と比べれば、心理療法とホメオパシーは、代替医療としてカテゴライズされており、機能的に等価だと思われている。
 ニセ科学批判者は、代替医療が全て偽薬効果だと言わんばかりであるが、当の偽薬効果という理論そのものが科学的に解明されておらず、代替医療と科学的にレベルは同じなのである。もしニセ科学批判者が科学的に解明されていない=科学的に根拠がない、という理由でホメオパシーや鍼灸を批判するのなら、同時に偽薬効果理論も否定しなければ、自己矛盾を起こすことになる。正しく目くそ鼻くそを笑うの関係になってしまう。

 代替医療の中で果たして治療効果のあるものが本当に存在するのだろうか?唯一あるとしたら、精神分析学による心理療法だけであると考えられる。例えば、心理的原因でヒステリー症状を起こす場合、心理的原因は本人自身が無意識を意識化して気づくものであり、悩みの原因が分かれば、その結果を取り除くことができるからである。心理過程のみにおける因果関係は当の患者本人が知っており、患者本人からカウンセリングで聴く以外、因果関係を見つけることができないからである。
 
 実は、精神分析学の方が自然科学よりも因果確定が安定的なのである。治療対象に因果関係を聞くことができるわけであり、自然科学のように外から観察して疑似相関に騙されたりすることがないからである。精神現象=意味世界の現象は、対象自身が自らの因果関係を認識できるわけであり、この利点は大きい。不眠症を治療するのに、不眠症患者に睡眠薬を与えるのではなく、なぜ悩んでいるか聞いてやり、心理的原因を除去してやり、安心すると眠るのである。精神分析による心理療法は個別的因果関係による個別的なメカニズムを解明するわけであり、自然科学よりも科学的なのである。精神現象=意味世界は、自然科学のような普遍的因果関係(法則)に支配されておらず、個別的因果関係に支配されているのである。個人の内面=意味世界の個別的因果関係は、精神分析学によるカウンセリングによって治療者と被治療者が共同で見つけ出すものなのである。
 ポパーの科学観は、個別的因果関係を無視しており、端的に誤っているのである。フロイトの偉大さに気づいていない。また、意味論的因果関係から構成されている社会システムについても、自然科学的な普遍的因果関係(法則)からは認識できないのである。
 とにかく、心理的次元の病は心理的因果関係の解明と心理的はたらきかけで治療効果が出るのであり、心理療法は科学的なのである。身体的次元の病は西洋医学が効果的であるが、心理的次元の病は代替医療でも治療効果があるかもしれないのである。

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by merca | 2011-02-02 23:37 | ニセ科学批判批判

偽薬効果は現象的事実であって科学的事実にあらず!!

 一般にメカニズムを解明するとは、因果関係を解明することである。メカニズムを解明しない関係は、疑似相関のおそれがあり、誤っていることがある。観測された事実は事実ではあるが、科学的には虚偽であることがある。事実が虚偽であることを暴くのが科学の面白いところである。
 例えば、「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」ということが、統計上、観測されたとする。これは確かに事実であると言えるが、科学的事実としては間違っている。
 年齢があがることが原因で持ち家をもつ人が多くなるという結果をもたらすわけではない。そこで、収入を統制すると、年齢による持ち家所有率に差がなくなったとする。つまり、統計的分析の結果、年齢があがると収入も増えるので、持ち家の所有率が増えることがわかったとする。年収が原因で持ち家を買う人が増えるという結果をもたらすという因果関係があることが判明したとする。
 この場合、年齢と持ち家所有率の関係は疑似相関と呼ばれ、嘘の因果関係なのである。

「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」は現象的事実であるが、この因果関係は嘘であり、「収入があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」というのが科学的事実である。

現象的事実
  「年齢があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」=嘘
科学的事実
  「収入があがると、持ち家をもつ人が多くなる。」=真理

 現象的事実は客観的に確かめられたデータであるものの、嘘であり、メカニズムが解明され因果関係が確定した事実のみが、科学的事実と呼ばれるものである。

 これを偽薬効果に適用すると、次のようになる。
 偽薬効果とは、偽薬を本当の薬だと信じ込んで服用するという原因が、身体状況の改善という結果をもたらすということである。信じ込み(原因)→身体現象の改善(結果)=偽薬効果なのである。
 しかし、この因果関係が疑似相関である可能性は高く、本当のメカニズムは解明されていない。信じ込みと身体現象の改善の両者の間に、それを媒介する要因がいくつもあるのではないかと容易に想像がつくわけである。
 偽薬効果は、現象的事実であり、未だ科学的事実の域に達していないのである。現象的事実にしかすぎない嘘を科学的事実だと見なすのは、ニセ科学である。科学的だと称して、偽薬効果という嘘を前提にして、ホメオパシーを批判することは、当然のごとくニセ科学である。

 観測された事実だからといって、それが科学的に本当であるわけではない。現象的事実に潜むメカニズムを解明し、事実こそが嘘であると暴くことが科学の役割なのである。現象的事実としての偽薬効果は、メカニズムが解明されておらず、科学的事実ではないのである。
 このように客観的に観測される事実である現象的事実のメカニズムを解明し、根底にある科学的事実を発見するのが科学の本道であるのに、メカニズム論の誤謬という偏った科学思想に立脚するニセ科学批判者は、非科学的・ニセ科学的になってしまっているのである。
 ニセ科学批判者たちよ!! 偽薬効果というニセ科学に騙されるな!! 偽薬効果こそニセ科学批判の対象になるのである。

  余談
 件のエントリーでトラックバックいただいたニセ科学批判者・第一世代のTAKESANさんの「論宅さんの混乱」という記事の下のSponsored Linkが「ホメオパシー商品ご自宅へ」や「レメディ通販」とホメオパシーの宣伝が表示されているのが痛々しい。なとろむ氏と異なり、せっかくホメオパシー完全否定派なのに皮肉である。なとろむ氏より徹底している点は評価できる。

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by merca | 2011-01-31 22:31 | ニセ科学批判批判

「メカニズム論の誤謬」という菊池流科学思想

 先のエントリー「偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。」で一つのことが明らかになった。それは、「メカニズム論の誤謬」という思想をニセ科学批判者たちが共有していることである。
 偽薬効果という現象は、観察されているが、そのメカニズム=因果過程は解明されておらず、科学的根拠はない。しかし、観察されている現象なのだから、科学的に否定できない事実であるという。
 つまり、メカニズムがわからなくても事実として確認されれば、科学的事実であり、メカニズムがわからないから非科学・ニセ科学とするのは誤謬であるという考えである。これを彼らの言葉では、「メカニズム論の誤謬」という。偽薬効果もメカニズムがわからないが、臨床データに基づいて観察される事実なので、科学的事実であるという。
 ニセ科学批判者は、このような論理によって、偽薬効果の存在を肯定する。そして、偽薬効果しかないとしてホメオパシーを批判する。以下の菊池氏の立場にそれは代表されており、このメカニズム軽視の菊池氏独自の科学思想にほとんどのニセ科学批判者は洗脳されている。
 http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1190130520
 ニセ科学批判者たちは、ホメオパシー批判の穏健派と過激派の対立を越えて「メカニズム論の誤謬」という科学思想を共有している。ちなみに、この対立はニセ科学批判が創始者たる菊池氏の手を離れ、一段階思想的に進歩する契機になると期待していたが、残念ながら、やはりニセ科学批判クラスターには、自由性・多様性はなく、菊池教で統一されているのである。歴史上、一つの思想が発展するためには、分裂し、様々な流派ができることが必要なのである。予言しておくが、知識社会学的には、いずれニセ科学批判者に右派と左派が生ずることであろう。

 さて、私は、正統科学を考える上で、メカニズム(因果経路)が解明されていない現象と解明されている現象の差異は、決定的に重要であると考えている。以下、それについて説明しよう。

 過去に天動説=「太陽が地球の周りを回っている。」は、事実として観察されていた。つまり、事実だと人々に思われていた。確かに人々には直接的には太陽が動いているように客観的に観察される。しかし、その事実は嘘であり、後に「地球が自転している」ことが解明された。
 さらに、重要なことは地動説が「太陽が地球の周りを回っている。」ように人々が錯覚するメカニズムも説明できることであった。誤った仮説の誤り方も解明できる説明能力もあるのである。これこそが純粋な意味での科学的事実のレベルである。果たして偽薬効果にこのレベルの説明能力があるのだろうか? 甚だ疑問である。 
 
 単に観察された現象にしかすぎない偽薬効果を科学的事実と呼ぶことは、天動説を科学的事実であると言っているのと同じである。要するに、見たままではないかということである。科学的事実は見たままの現象ではない。メカニズム=因果関係確定がセットになってはじめて科学的事実となる。
 このことにニセ科学批判者は無頓着である。ニセ科学批判者たちは、メカニズムが解明されていなくても科学的事実たりうるという菊池氏の変な科学思想を継承しているのである。

  観察されることが、イコール科学的事実ではない。いくらそれが客観的であってもである。
 もし多くの人に観察されることがイコール科学的事実であるならば、幽霊や超能力もこれまで多くの人が観察してきたのだから、科学的に実在することになる。偽薬効果を認めるニセ科学批判者の理屈からは、幽霊や超能力を認めざるを得なくなる。幽霊や超能力を見た人たちは、自分たちが見たから否定のしようがないと言う。偽薬で治った人がいるのだから偽薬効果も科学的事実であるというわけである。

 偽薬投与で身体への効果が臨床的に観察されるからといっても、「効く薬だと思い込む」ことが身体状況に本当に変化をもたらしているとは限らない。例えば、薬だと思い込むことで、認知に歪みが生じ、身体状況の変化を全て薬の効果と解釈して認知するようになっているのかもしれない。身体状況の変化は自然治癒が原因なのに、それを薬の効果だと認知するわけである。自然治癒を薬の効果であると錯覚しているだけなのである。これは、偽薬効果ではなく、認知不協和理論による心理現象なのである。この場合、効果そのものが嘘であり、心理過程のみで説明がつくので、偽薬効果は否定される。(認知不協和理論については文末の参考欄を参照されたい。)
 偽薬効果が前提とする「効く薬だと思い込む」ことが原因で身体状況の改善につながるという因果関係は疑似相関関係にしかすぎないかもしれない。例えば、たまたま「効く薬だと思い込む」ことがある患者の精神的安定(リラックス状態)につながり、精神的安定(リラックス状態)が自然治癒を促進するという媒介要因が介在しているとすると、「精神的安定(リラックス状態)は病状の改善に寄与する」というのが科学的事実であって、「効く薬だと思い込む」が病状を改善するということは科学的事実ではない。この場合、「効く薬だと思い込む」が原因ではなく、精神的安定(リラックス状態)による自然治癒が病状の改善の真の原因となる。
 偽薬効果の効果は、定義上、直接的に身体的影響効果がある場合にだけ成立つ。心理過程のみの心理現象ではなく、原因たる心理現象と結果たる身体現象の因果関係が実在しなければ、意味がない。「効く薬だと思い込む」ことが精神的安定をもたらす人もおれば、そうでない人もいる。例えば、疾病利得の人は、病気で仕事をさぼりたいと思うので、薬が効いて欲しくなく、治りたくないと思っているので、精神的によけいに不安定になるであろう。
 
 思うに、ホメオパシーで治ったという人たちは、偽薬効果によって治ったのではなく、自然治癒をレメディの効果と勘違いしているわけであり、認知不協和理論による心理過程のみで説明がつくのである。わざわざ身体現象を伴う偽薬効果などという非科学的なものを持ち出して批判する必要もないのである。
 それにしても、偽薬効果は、科学的にメカニズムが解明されていないわけであり、科学的に解明されていない現象を肯定するのなら、幽霊や超能力も科学的に解明されていない現象として同等であり、肯定されなければならない。
 オカルト信者やマニアたちは、幽霊や超能力は、未だ科学で解明されていないだけであり、いずれ解明される可能性があり、科学的に否定することはできないとよく言う。このような言い分に対して、ニセ科学批判者は非常に毛嫌いするが、科学的にメカニズムが解明されていない点においては、偽薬効果も幽霊や超能力と同じなのである。
 「メカニズム論の誤謬」という菊池流科学思想からすると、幽霊や超能力は科学的に解明されていないが、多くの人に観察されているわけであり、科学的事実となるのである。
 メカニズム解明を科学の条件とするかどうかは、個々人の科学観によるものであり、科学の定義をどうするかという科学哲学上の問題であり、誤謬の問題ではない。
 私はメカニズム解明を科学の条件としたい。少なくとも「メカニズムの解明可能性」は必須条件であると考えたい。そもそもメカニズムが解明できないもの=原因のないもの=世界の根源的偶然性は、宗教の処理する領域だからである。

 参考 認知不協和理論
 認知不協和理論とは、複数の情報に意味的整合性をもたせようとする心理作用をいう。薬が効くという情報を信じている人間は、身体状況の変化という情報を薬の効き目だと認知することで、整合性をもたせようとする。
 ホメオパシーを信じている人にとっては、自然治癒をレメディの効果であると認知することが整合性があることになる。さらに、ホメオパシーによって病状が悪化しても、それは好転反応であるという認知をすることで、レメディの改善効果の兆候として認知されることになる。好転反応は、レメディに効果があるというホメオパシーの物語に整合性を持たせるための概念装置である。好転反応は、新興宗教の信者が苦難を神の試練と見なすことと機能的に等価である。
 要するに、病状が改善しても改善しなくても、レメディ投与には効果があるという概念装置をもつことで、ホメオパシー信者は益々ホメオパシーを信じることになるのである。このような社会心理過程は、既存の宗教社会学の新興宗教論ですでに解明されているが、社会科学に疎いニセ科学批判者たちにはあまり論じられていない。宗教社会学という社会科学による知識から、一応、ホメオパシー批判をすることは可能である。しかし、批判の目的を正当化する立場自体(通俗道徳)が正しいとは限らない。

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by merca | 2011-01-30 00:11 | ニセ科学批判批判

偽薬効果を前提にしたニセ科学批判はニセ科学である。

 ニセ科学批判系ブロガーのうちで、ホメオパシー論争が過激化しているようである。その中でも、偽薬効果(プラセボ効果)のメカニズムについて少し興味をもったので、述べておこう。

 偽薬効果とは、偽薬であっても、本当に効く薬や治療法だと患者が思い込めば、一時的に本当に病気が改善するという効果である。心理学でいうピグマリオン効果や社会学でいう予言の自己成就と似ているのである。つまり、ウソが本当をつくりだす現象である。このような現象は、意味システムである心理現象や社会現象のみで可能であると考えていたが、生命体システムにも起こりうる現象であるというのが興味深い。
 言葉の意味内容が物質的世界たる身体に影響を与えるというのは、ある意味、神秘的であり、スピリチュアルである。言葉(意味付与作用)が物質世界たる身体に影響を与えるという因果関係を認めてしまえば、これまでの科学的知識を否定することになり、ニセ科学になっしまうのだろうか?
  多くのニセ科学批判者は、不思議なことに偽薬効果の存在は肯定している。ホメオパシーは偽薬効果しかないと否定することで、ホメオパシーの偽薬効果のみを暗に認めている。新薬開発に関しては、偽薬効果を除外した本当の効果を測定することが科学たる医学の世界では、常識であり、偽薬効果を否定するニセ科学批判者はいない。
 言葉の世界の出来事が身体現象に影響を与える偽薬効果という現象を認めることは、かえって非科学的ではないだろうか?偽薬効果のメカニズムに科学的根拠がないのなら、偽薬効果を認めることは非科学的である。科学的に完全に解明されていない偽薬効果こそが神秘的なのであり、その神秘的現象に基づいてホメオパシーを否定することで、かえって自らが非科学的になっているのである。
 ニセ科学批判者が、ホメオパシーは偽薬効果しかないとして批判することは、非科学的なことである。むしろ、ホメオパシーには、偽薬効果も治療効果もどちらもないという批判が純粋科学主義による批判なのである。ニセ科学批判者たちには、徹底せよと言いたい。
 
 さて、システム論では、意味システム(意識システム)が生命体システムに直接的に影響を与えることはできず、互いに閉じていると考えられている。従って、言葉の意味内容が生命体の活動に直接影響を与えることはできない。治ると念じたたところで病気は治らない。もしかりに、意味システムが生命体システムに影響を与えるとするならば、媒介的なかたちをとると考えられる。
 
 そこで、あくまでも仮説であるが、これまでの科学的知識の範囲内では、現状では、偽薬効果を以下のようにしか考えるしかない。
 それは、偽薬効果が、言葉の意味内容→感情的反応→神経系・ホルモン系の反応→自然治癒力の向上→症状の改善というプロセスからなるという仮説である。さらに、多少の改善の兆候の認識によって、さらなるプラスの感情的反応が起こり、それ以下の過程もプラスになっていくと考えられる。例えば、偽薬を使用して少し改善したところで、周囲の人たちが偽薬の効き目が出て来ていると、集合的評価をすることで、益々偽薬への信じ込みによるプラスの感情が起こり、症状が好転するのである。偽薬効果においては、このようなプラスの循環をつくる社会心理的過程が重要なのである。
 患者が偽薬単体を信じるということだけではなく、医療従事者たちの集合的な演出こそが大きなポイントだと思われる。みんながこの薬や治療法を信じている。少しよくなったことはみんながこの薬や治療法の効果だと思っている。そしてなによりも、みんなが私の病気が治るように願っていてくれるということで、プラスの感情を患者がもつことができ、それが自然治癒力を高めることになり、改善に向かう。
 偽薬を単独に取り出して分析するだけでは不十分で、偽薬を演出する治療共同体のコミュニケーション過程による患者の感情的反応の分析こそが必要なのである。偽薬効果には、このような社会心理過程が介在していることを忘れてはならないのである。
 もう一ついうと、科学的根拠によって効果が実証されているという情報こそが、偽薬効果で一番大切なことである。つまり、科学が真理の王様であり、科学的に実証されていることが信じるに値すると思っている多くの現代人には、科学的根拠があるという情報は絶大な偽薬効果をもつと予想される。科学者たる医者が効果があるとお墨付きを与えた薬なら、偽薬効果はそれだけ高まるのである。皮肉なことに、科学的根拠があると偽るニセ科学の偽薬ほど、偽薬効果は高くなるのである。ただ、科学を信じていない患者には、お守りなどのスピリチュアルなもののほうが偽薬効果はあると思われる。

 以上のような心理・身体過程は、まだ科学的に十分に解明されていないわけであり、仮説にしかすぎないが、この仮説でもって他者を批判すること、すなわち偽薬効果でもってニセ科学批判をすることは、非科学的である。時折、ニセ科学批判者は仮説を科学的真理と思い込み、他者を批判するので要注意である。

 さて、ニセ科学批判者には次のように考える者もいる。
 ホメオパシーは、希釈によって物理的に身体に影響を与える可能性がほとんどないので、物理的因果関係がなく、偽薬効果しかないが、一方、鍼灸、漢方薬、指圧などの東洋医学は、直接的に物理的身体に影響を与えており、科学的根拠が解明される余地があるので、偽薬効果だけではないというのである。従って、ホメオパシーと東洋医学を同列に扱ってはならないというわけである。
 科学的根拠が解明される余地は、物理的な直接的接触によって区別されるかどうかは、議論が起こることであろう。
 もし物理的な直接的接触のみが科学的である条件ならば、臨床心理学における心理療法などは非科学的だとして全て否定されることになるのである。鬱病は脳神経に影響を与える投薬のみが効果があり、心理療法は偽薬効果のみだということになる。偽薬効果のみを認めるニセ科学批判者は、心理屋を敵に回していることに気づいていないのである。
 身体現象に影響を与える心理的はたらきかけは、全て偽薬効果と同じメカニズム(因果経路)をもつということを臨床心理士たちに公言して欲しいものである。いずれ臨床心理学は、精神分析学と同様に、ニセ科学として魔女狩りされる運命にあるのである。その危機感をもつ臨床心理士はまだ少ない。精神病棟に多くの臨床心理士が勤務しているが、ニセ科学批判者によって、心理療法が偽薬効果として断罪され、精神科医による投薬治療のみが生き残るのである。
 
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by merca | 2011-01-23 12:22 | ニセ科学批判批判

価値次元相対主義によるニセ科学批判批判

 現代社会は、様々な社会的領域に機能分化している。法律、経済、教育、政治、科学、宗教、福祉、医療、軍事、雇用、芸術、スポーツなどである。各社会領域は、独自の価値をもっており、他の社会的領域の価値に還元されず、対等であることが、成熟社会の完成体である。
 例えば、法システムは、経済システムからは完全に支配されず、経済システムも法システムに完全に支配されないわけである。
 私は、このような機能分化した社会的領域における価値が全て対等であるという考えをもっており、それを価値次元相対主義と呼んでいる。しかし、日本社会の近代化が経済中心に始まったために、経済的価値が他の社会的領域を制御するという構造が残っており、緩やかな価値序列がまだ存在しており、完全に水平的な機能分化を達成できていないことを指摘した。さらに、私は、ベーシックインカムこそが、雇用と経済を分離し、経済的価値を相対化し、水平的機能分化を可能にする社会政策的な処方箋であると考えた。

 それはさておき、このような価値次元相対主義に逆行する思想が存在する。それがニセ科学批判である。というのは、ニセ科学批判は、科学的事実に反する要素が少しでも含まれていると、科学以外の社会的領域であっても、平気で全否定するからである。ニセ科学批判においては、真偽のコードに準拠する科学システムが他のシステムに対して領域侵犯し、制御・支配することになる。科学的事実を最上位の価値とし、経済、法律、教育、宗教など他のシステムよりも優位なものと見なしているのである。

・教育の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反する教育として水伝道徳授業を批判する。
 教育は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、教育的価値があればよい。教育の目的は、社会に適応する人間をつくることであり、その目的に適合的であれば、科学的事実に反していても問題がない。例えば、西洋社会では、キリスト教に基づく道徳教育を行って来た。神という科学的事実に反する存在を前提にして、道徳を内面化させ、社会に適応する人間をつくってきた。科学的事実に反する教育であるが、教育の目的は達しているのである。
 個人的には水伝道徳授業に問題はないと言いたくはないが、科学的事実に反することは教育としての水伝授業の本質的批判にはならない。なのに、科学的事実に反することを根拠に教育批判している。
・宗教の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてスピリチュアル批判を行っている。
 宗教は科学に還元されない価値や目的をもっており、科学的事実に反することであっても、宗教的価値があればよい。宗教の目的は、世界の根源的偶然性に意味付与することであり、科学的事実に反していても問題はない。神や輪廻転生は科学的事実に反するが、宗教的価値はある。なのに、ニセ科学批判者は神や輪廻転生を批判しようとする。
・医療の分野に関しては、ニセ科学批判者は、科学的事実に反するとしてホメオパシー批判を行っている。
 医療は、科学に還元されない価値や目的をもっており、科学はその手段にしかすぎない。医療は病気を治すことが目的であり、科学的事実に反していても、病気が治るのなら、医療的価値があることになる。漢方薬や針などの東洋医学は科学的に実証されていないが、現実にある程度病気が治るから使用しているわけである。ホメオパシーも科学的効果ではなく、偽薬効果による自然治癒でたまに病気が治ることがあるから使用している人がいるのだと思う。
・経済の分野に関しては、ニセ科学批判者が科学的事実に反するとしてマイナスイオン商品の批判を行っている。
 経済=商品は、科学に還元されない価値や目的をもっており、経済的価値があればよい。マイナスイオンは科学的に実証されていないというが、とにかく商品が売れれば企業にとっては経済的価値があるのである。ウソであっても、売れれば企業にとっては経済的価値はある。科学的事実がどうであれ、商品が売れて市場が活性化すれば、経済的に価値があることになる。
・雇用の分野に関しては、ニセ科学批判者は科学的事実に反するとして血液型性格判断を行う。
 雇用の目的は、科学とは関係ない。組織に貢献してくれる人材を雇うことが雇用システムの目的である。科学的に実証されていない血液型性格判断を利用して、企業が人材を雇用しても、問題はない。何を採用選定基準とするかは、企業の好みであり、自由である。血液型性格判断を基準にして雇用して、うまくいかなかったら、企業の自己責任である。企業の雇用システムに科学が口出しする権利はない。

 このように、ニセ科学批判は、科学以外の他の社会的領域の思想や商品に科学的事実に反する要素が含まれている場合、全否定するのである。他の社会的領域の価値判断よりも科学による価値判断が優先される仕組みになっているのである。ニセ科学批判においては、科学は他の社会的領域の監督者として特別な価値が認められているのである。反科学的であっても、その社会的領域における目的が十分に遂行できるのであれば、科学は口出しする権利はないのである。
 科学的価値による社会領域の支配こそが、ニセ科学批判という社会現象の本質であり、これは同時に社会病理でもある。
 価値次元相対主義に基づくと、科学的価値も他の社会領域の価値も同等であり、争うことなく、平和に相対化されるべきなのである。科学的事実を絶対化する価値次元絶対主義こそがニセ科学批判の本質であり、他の社会的領域を支配しようとしているわけである。他者に対してニセ科学批判者が押し付けや指図をすることが多いわけは、科学的価値を絶対化・中心化しているからなのである。ニセ科学批判が流行ると、科学者が社会の中心に君臨する社会、つまり科学主義化社会になってしまうのである。

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by merca | 2011-01-20 00:38 | ニセ科学批判批判

ニセ科学批判者(通俗道徳主義者)はマイケル・サンデルの正義を学ぶべし

 ニセ科学批判者がニセ科学批判する正当性の根拠は、科学的事実にあるのではなく、最近、世間の通俗道徳にあることがわかってきた。これは、ニセ科学批判批判派の一部のブロガーのうちでは常識となっている。
 つまり、「ウソをついてはいけない」「人を騙すのはよくない」「人を殺すのはよくない」「他人に迷惑をかけてはいけない」と言った通俗道徳に最終的な自説の正当性の根拠があるようである。このような通俗道徳に準拠して世間の集合的非難と公憤を動員する方法は、週刊誌やスポーツ新聞と同じである。一種のポビュリズムである。
 
 しかし、これらの道徳律は確かに世間の道徳規範として流布しているが、よくよく道徳や正義について深く考えていくと、そんなに道徳判断は単純でないことがわかる。

 「ウソをついてはいけない」「人を騙すのはよくない」 
 例えば、殺人犯に追われている女性が自分の家に逃げ込み、殺人犯が探しに来たら、「私の家にはいません」というのは、道徳的に悪なのだろうか?

 「人を殺していはいけない」
 例えば、秋葉原無差別殺人事件のような殺人鬼が路上で暴れ、通行人に刃物で襲いかかっているのを目の前にして、他に止める手段がなくて、警察官が発砲して殺人鬼を射殺することは道徳的に悪であろうか?

 「他人に迷惑をかけてはいけない」
 例えば、車両の故障が発覚し整備のために電車をとめ、多くの通勤客に迷惑がかかったとする。安全確保のために車両整備で通勤客に迷惑をかけたことは道徳的に悪なのだろうか?  

 「ウソをついてはいけない」「人を騙すのはよくない」「人を殺すのはよくない」「他人に迷惑をかけてはいけない」などの通俗道徳を単純に適用するだけでは、現実の道徳判断はできない。行為のおかれた状況やその他の条件を加味し、議論し、合意をえることでしか、道徳的判断はできない。
 マイケル・サンデルが正義に関する議論で主張しているのは、このような道徳の複雑性である。通俗道徳を単純に振り回すだけでは、道徳判断できないということに尽きる。
 道徳的議論は重要である。ちなみに、社会学でいうと、ハーバーマスが主張する理想的発話状況による対話的理性こそが、道徳的議論で求められるコミュニケーション・システムである。

 しかるに、ニセ科学批判者は、通俗道徳を振りかざし、複雑な道徳に関する民主的議論をすっ飛ばし、したり顔でニセ科学というレッテルを付与した知識、技術、商品などを否定しまくる。科学的事実や通俗道徳という正論で単純に他者を否定する。正論だからという意識に甘えて、他者との正当な議論を経ずに、自説を押し付けて他者を否定する。
 
 ホメオパシーに対しても「人に迷惑がかかるから悪い」「効果がないのに効果があるとウソをついているから悪い」「人が死ぬから悪い」という単純な通俗道徳から批判する。
 水伝においても、思想の自由(人権)という道徳要因を無視して、「科学的事実ではないウソだから悪い」という単純な通俗道徳から批判する。

 安易な通俗道徳に基づく価値判断に正当性の根拠を求めず、科学のアイデンティティを穢すから科学的に中途半端な知識を批判するという純粋な科学原理主義に立脚したニセ科学批判者のほうがまだ筋が通っているのである。そういう正当派をみかけなくなった。大槻教授くらいである。菊池氏は通俗道徳主義者である。

 多くのニセ科学批判者は、通俗道徳に流されず、マイケル・サンデルの正義に関する議論を学ぶべきである。

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by merca | 2010-11-14 11:35 | ニセ科学批判批判

ホメオパシーは科学的である故に、批判される。

 私がブログ夏休み中にすごいことになっていた。システム論をペースにしたネット論客である情報学ブログさんのブロクが炎上したようである。
http://informatics.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-5cb3.html
「科学はホメオパシーを否定できない」というニセ科学批判者の道徳意識を逆なでするタイトルにも炎上の原因がある。はてブもすごいことになっている。「科学はホメオパシーを否定できない」というタイトルがニセ科学批判者によるブログ炎上プラスはてブの多量批判コメントを招くことぐらいは、もはや情報学の池田氏なら、情報学的に予測していたことと察する。
 ブログ炎上ついては、今更という気がするので、何も言わないが、気になったのは、ホメオパシーそれ自体である。
 
 情報学さんの主張は、ホメオパシーが西洋近代医学=科学の論理と根本的に異なる故に、科学によってホメオパシーが否定されないという意味と受け取った。システム論的には、もし異なる論理=異なるコードに基づくのなら、互いに閉じており、互いに否定することができなくなるので、情報学さんの理解は正しいと思う。
 
 しかし、ホメオパシーは、西洋近代医学と根っこは同じであると言いたい。そもそも創始者のサームエル・ハーネマンは西洋ドイツの医者である。つまり、西洋近代医学の人である。ただし、実証的な根拠が希薄であり、類似の法則などと称する飛躍的な仮説を立てていることから、批判されているだけである。医学の歴史からすると、これは西洋医学内の闘争、つまり科学内部の闘争である。ホメオパシーは未発達な西洋医学であり、現代の科学からすると誤りであるということである。ホメオパシーは未発達な誤った科学であり、現代の科学者から批判されても仕方がない。
 ホメオパシーが科学と共有している部分があるから、科学から批判されることになる。ホメオパシー理論に基づいた「水の記憶」を発表したジャック·ベンベニストも、科学者である。
 とにかく、これは、科学内部の闘争だから、科学自身が自己言及的に真偽の決着をすることになる。ホメオパシーの論理は、神や心霊などの宗教と比較すれば、明らかに科学と認識枠組みを共有している。科学と同じく、物質世界の因果関係を対象としており、なおかつ実験的な方法を取り入れている。ホメオパシーの本質は、できそこないの科学である。それ以外、言いようがない。
 ただし、ニセ科学批判としてよりも、医学(科学)論争として決着をつけるべきことがらである。また、多くの場合、ニセ科学を生み出すのは、当の科学であり、科学の自己責任である。

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by merca | 2010-08-16 00:14