クオリアという観察(質/量)


 科学者·茂木健一郎が提唱するクオリア論は、微妙な立ち位置にある。ニセ科学批判者系のブロガーからあまりよく思われておらず、ニセ科学や擬似科学のレッテルを張られそうな雰囲気である。
 区別の論理から、クオリア論をコード分析すると、実は自然科学ないしは数理科学に対する第二次観察だと言える。つまり、自然科学ないしは数理科学は、(質/量)というメタコードに準拠しており、量をマークして構築された学問であるということである。一方、クオリアは、決して量には還元されない世界の一面を指していることになる。自然科学や数理科学は、クオリア論によって相対化される。質は量に還元されず、量は質に還元されない。
 ただし、ここで問題となるのは、クオリア論が実証性、反証性、客観性をもつかどうかである。クオリアは主観的感覚であり、客観化することができない。しかし、そうなると、量の世界は、数式で表現できる客観的世界であるが、質の世界は数式に還元することが不可能であり、実証性、反証性、客観性を持ち得ないという理屈で、クオリア論を擬似科学に押し込める人たちも出てくると考えられる。
 システム論から観察すると、(質/量)というコードで事物を観察する当のクオリア論は、(意味=言語世界/物理世界)というメタコードに準拠しており、やはり物理世界の学問としての域はでない。クオリアは意味システムではない。意味システムとしての意識システムや社会システムとは異なる次元である。
 とは言いつつも、物理世界が量としてだけではなく、質として観察できるという発想は、有意味であり、期待したい。
 
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by merca | 2008-12-31 16:27 | ニセ科学批判批判 | Comments(0)
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