科学による客観的事実の独占化


 科学が存在する前から、人は自然に対する知識をもっていたわけであり、科学のみが客観的事実を独占するというのは、おかしな話である。
 例えば、河豚には毒があるとか、水を沸かすと蒸発するとか、種をまくことで穀物が生えてくるとか、数え上げれば切がない。また自然に対する知識には、本能というものもある。匂いや味で腐ったものを判別することもできる。近代化し科学が誕生する前から、人間は自然に対する客観的事実を知っていたのである。自然に対する客観的事実は科学の専売特許ではないことがわかる。科学的方法でしか客観的事実を得ることができないと考えたり、科学が一番よく客観的事実を見つけ出す方法であると考える人がいたら、それは一種のおごりである。
 科学という知識に人間が頼りだしたのは、近代社会に入ってからである。近代社会の仕組みと科学は平行している。社会学的には、科学を論じることは、近代化を論じることと本質的に同じである。近代化論の視点から観察すると、ニセ科学批判は、科学による客観的事実の独占化現象の一つなのである。

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by merca | 2008-12-31 16:54 | ニセ科学批判批判 | Comments(2)
Commented by dankkochiku at 2009-01-02 09:56
明けましておめでとうございます。 昨年に続き、今年も鋭いご見解期待します。 ところで、「科学が一番よく客観的事実を見つけ出す方法であると考える人がいたら、それは一種のおごりである。」 には全く同感です。 ただ、科学を使った方が物事を説明しやすいのも事実でしょう。 統計を示すことで、納得させやすいのと同じですが、同時に、統計を使って人を騙すことも容易です。 とはいえ、史実を無視して戦争を正当化する空幕僚長のような、信念やイデオロギーのみにも警戒しなくてはならないと思います。 むしろ、あの種の人士が現れる現在の社会状況に関心があります。
Commented by merca at 2009-01-06 23:00
dankkochikuさん
 明けましておめでとうございます。
昨年は、犯罪現象や犯罪統計について色々と教えていただいてありがとうございました。本来は、私も理論社会学だけではなく、社会病理学も専門ですので、色々と接点がこれからもあると思います。すっかり、ニセ科学批判批判者としてネット世界では名が知れてしまいましたが、規範意識や道徳などの社会学的観察が本業です。私も闇雲に科学を批判しているわけではなく、科学者やニセ科学批判者が観察するのとは異なった観点=区別から科学を観察しているわけです。ある観点から観察すると、社会的に科学も宗教も同一の機能を有する、つまり機能的に等価であると記述しているにすぎません。別の観点からすると、もちろん両者は異な
ります。ともあれ、ニセ科学批判批判以外のエントリーも書き、もとから読んでいてくれた方たちに楽しんでもらえればと思います。
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