驚く事なかれ、ネットで検察すると、水伝、マイナスイオン、ゲーム脳、血液型性格判断については、対象そのものよりも、批判的に対象を観察をした者たちによる間接的情報の方が圧倒的に多い。つまり、我々はある人々(=ニセ科学批判者)の価値観に基づいた間接的情報をまず目にすることになる。 社会心理学において、コミュニケーションの二段の流れという学説がある。ある対象や出来事についての情報は、中間集団の濾過を経て、間接的に人々に伝わるというものである。例えば、政治問題は、労働者の所属する労働組合のオピニオンリーダーの解釈を通じて、労働者たちに伝わる。ここで重要な点は、対象にまつわる知識は、対象そのものから直接得たのではなく、すでに特定の他者や集団の価値観に染められた間接的情報であるという点である。つまり、ネットに溢れる水伝、マイナスイオン、ゲーム脳、血液型性格判断に対する知識は、すでにニセ科学批判者たちの共有する特定の価値観=区別から観察された間接的知識なのである。もちろん、その観察コードは、(科学/ニセ科学)という区別である。ニセ科学批判者であるブロガーたちがオピニオンリーダーとなり、独占的にネットを見る人々に批判対象に対する情報を伝達する。我々は、ニセ科学と呼ばれている対象についての知識は、この特定の区別によるフィルターから観察されたものであるということを心得ておく必要がある。 対象について、一つの色眼鏡から観察した知識は、その全体像を把握しているわけではない。多様な観点から観察してこそ、対象そのものについての全体像がある程度浮き彫りになってくる。しかし、ニセ科学批判者は批判対象に対する他の観点からの観察はとるに足らず自己の観点のみが重要であると主張し、あたかも自分たちの観察が批判対象の全体像・全価値であるかのような錯覚を人々に生じさせる。この点がニセ科学批判の胡散臭さの本質である。詰まる所、私は、別の観点からの眺め方を許さないニセ科学批判者の態度に危惧し、違和感を抱いている。あるいは、自己の観点こそが他の観点よりも社会的に重要であるという価値判断の押し付けが嫌なのである。全ての観点の重さは人それぞれであり、自由で対等であり、押し付けることはできない。価値判断は、対象と主観(の関心)の関係性によって生ずる。 確かに、ニセ批判者の批判対象に対する価値判断は、一つの観点に固着すると、多くの場合、正論に聞こえる。しかし、ネットに溢れるニセ科学批判者や周辺者たちの言説を観察すると、批判対象を別の観点から観察する者に対する否定、罵倒、軽蔑、揶揄が多く、凄まじいものがある。科学ではなく、別の観点から少しでも水伝や血液型判断などの肯定的な側面を観察しようとしたら、あなたの観点はとるに足らず、認識が甘く、私たちの観点こそが重要であるという態度で攻めてくる。多くの場合、その見方おかしいですよ。私たちの見方の方が重要なので採用しなさいと、コメントしてくる。ネット上における布教活動である。この点も胡散臭い。 ニセ科学批判者に対する私の観察は、観察の観察、つまり第二次観察である。私の準拠する観察コードは、(絶対/相対)である。ニセ科学批判者の言説は、批判対象を他の観点から観察することを許さない、あるいは他の観点を下位に置く、絶対主義なのである。正論とは、無条件に他の観点を軽視・否定・排除する故に、一種の暴力なのである。ニセ科学批判はまさに正論である。社会学は、社会に溢れる正論を疑う。正論が正論ゆえに暴力を伴うパラドクスに敏感なのである。 人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。 人気blogランキングへ
by merca
| 2009-01-07 00:38
| ニセ科学批判批判
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Comments(4)
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タイトル : 菊池 誠に見るニセのニセ科学批判
菊池 誠 大阪大学サイバーメディアセンター教授。1958年生まれ。専門は学際計算統計物理。 『血液型で性格を決めつける人とどうつきあうべきか』 プレジデント4月20日(月) http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090420-00000301-president-bus_all きくち氏は、>『「血液型性格診断」に科学的根拠がないことは、すでに心理学の実験で証明されている。多くの人はそれを半ば理解したうえで、「しょせんは遊びだから」と軽く考えて話題...... more
記事拝見しました。いつもながら、するどい語り口に感心させられます。
「あたかも自分たちの観察が批判対象の全体像・全価値であるかのような錯覚を人々に生じさせる。この点がニセ科学批判の胡散臭さの本質である。」 まさにおっしゃるとおり、私が感じている胡散臭さの本質を突いています。ただ、微妙に私の受け止め方とニュアンスが異なる処もありますので、自分の言葉で書いてみます。 ニセ科学批判者の人々は、「他の観点からの観察はとるに足らず自己の観点のみが重要である」と主張しているわけではなく、単にニセ科学としての側面の批判をしているだけだと思っています。ただ、あまりに強い感情的な表現が多いので、読み手側は驚き、「あたかも自分たちの観察が批判対象の全体像・全価値である」と訴えているような錯覚を抱いてしまうのだと思います。あまりに強く主張を訴えている様子を見ると、その訴えている内容の妥当性如何にかかわらず、「まるで布教活動しているみたい」に見えるのだと思います。 私自身は、自分のブログにも書きましたとおり、ニセ科学批判の訴えの根本は、正当なものだと思っています。(正当だと思っているのですが、違和感を感じているのも事実なのです。)
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![]() eastcorridorさん こんばんは 論宅です。 私のブログへのコメントありがとうございます。 下のようなコメントをeastcorridor さんのブログにしておきました。 正しいこと、つまり正論や客観的事実であったとしても、それを受け入れるかどうか最終的に判断するのは、個々人です。菊池氏やニセ科学批判者ではありません。菊池氏やニセ科学批判者が、説得的コミュニーケーションによって啓蒙しているわけですが、内容の正しさではなく、そのコミュニケーションの形式に人々は反応することがあります。社会学的には。コミュニケーションの形式が悪ければ内容の信頼性が低下します。 ![]() 続き 水伝などのビリーバーが菊池氏のあの文書を読んだら、説得されるよりも、たぶん小馬鹿にされたと怒るでしょうね。「水伝を信じるのは笑われる程度のことなんだよ、バカにされるようなことなんだよ」という言い方では、かえってビリーバーの自尊心を逆なでし、転向することはないと思います。人は間違いを信じてしまうこともあります。間違いであっても、その個人の判断は尊重した上で、思いやりのある態度で説得することで、他者への建設的なコミュニケーションは成り立ちます。自分も含めて人は間違うものであるという感覚があれば、あのような文書の表現にはならないでしょう。正しさに甘えていると私にはうつります。 たとえ正しくても、正しさだけでは、人は動きません。議論に勝っても動機付けに負けます。正しさを強調すればするほど、人は反発することもあります。正しければ何を言っても人を説得できるという安易な前提が問題だと思います。 その意味でも、余分な感情や価値判断を避け、eastcorridor さんがいうように、事実だけを伝えたほうが、相手の理性に訴えかけ、中立性を保ち、説得力があると思います。
はじめまして。
>ネットに溢れるニセ科学批判者や周辺者たちの言説を観察すると、批判対象を別の観点から観察する者に対する否定、罵倒、軽蔑、揶揄が多く、凄まじいものがある。< 以前に『水からの伝言』をニセ科学であると批判(主張)している自称『ニセ科学批判者』に対して『貴方の主張には賛成します』と言った瞬間から突然敵認定され、マトモな会話が成り立たず弱った事が有ります。 ニセ科学批判+『別な見方』=『私の意見』なのですが、自分が考えていなかった『別の見方』が相手のニセ科学批判者は如何しても許せなかったのでしょう。 私の別の見方とは『美しい言葉が美しい結果を生むのなら、其れは科学ではなく道徳ではないか?』と言うもので、私の説が正しいとか間違っているとかの対話を期待したが、結果は討論拒否の意味不明の罵倒?される始末で、意外な成り行きにあっけにとられるばかりでした。 この記事は自分の経験とも完全に一致する、実に納得する素晴らしい記述ですね。
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