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ニセ科学批判の善用・悪用


 ニセ科学批判は、科学と同様にそれ自体が目的ではなく、道具にしかすぎない。科学が悪用されると、甚大な被害が人々にもたらされるのと同様に、ニセ科学批判も悪用されると、ニセ科学よりも大きな被害をもたらすおそれがある。もちろん、ニセ科学批判の善用もありうるので、善用は肯定するとして、悪用については批判するということになる。

 (ニセ科学批判の善用)
 ニセ科学批判は、善用すれば、科学の純化とニセ科学の被害防止に役立つことになる。科学の純化とは、科学とそうでないものを明確に区別し、科学のアイデンティティを確立することである。そうすることで、科学の領域と限界が設定され、科学が他の文化領域まで侵犯するのを防ぐことができるわけである。ニセ科学批判には、実は社会の科学化現象による文化破壊を防止する機能がある。(もちろん、その逆もある。)
 ニセ科学批判には、ニセ科学の被害を防止する機能がある。ニセ科学の被害者がどの程度いるのかわからないが、医薬品等のレベルになると、その被害は放っておくことはできないかと思われる。しかし、これについては、科学的知識のない素人が摘発するのではなく、本来は、国家が科学官僚を利用して監視すべきである。

 (ニセ科学批判の悪用)
 ニセ科学批判は悪用されると、魔女狩りとなり、文化破壊につながる。その事例がニセ科学でないものまで批判する場合である。多くのニセ科学批判者は、同時に科学のみが客観的事実を得る最適の手段であるという科学者主義者であるため、科学を名乗らない、占い、宗教、スピリチュアルまでも批判する傾向にあり、社会の他領域の文化の機能を破壊するおそれがある。
 人は、社会にある多様な文化領域を選択・利用し、生活を豊かにしているわけであり、科学以外の価値も必要とする。科学の純化に無頓着なニセ科学批判者ほど怖いものはない。
 次に、ニセ科学批判は、相手にニセ科学のレッテルを張るわけであり、相手の利害を侵害するおそれがある。もしニセ科学批判者が間違っているとすると、レッテルを張られた側は、不利益を受けることになる。ニセ科学批判者が間違った判断で、ある商品をニセ科学だとしてレッテルを張った場合、損害賠償を請求されるおそれがある。
 ニセ科学批判は一部の人間に恣意的に運用されると、文化破壊や他者攻撃の手段として利用され、コントロールが利かなくなるおそれがある。そこで、ニセ科学批判をする者には、一定の倫理観が求められることになる。これは科学者の倫理観と基本的に同じてある。
・ニセ科学批判は、利己的目的ではなく、公共の利益のために使用すること。
・ニセ科学批判によるリスク(自己が間違いである可能性)に伴う責任を自覚すること。
・ニセ科学批判は、科学以外の領域に手をださないこと。

 現状のニセ科学批判者とその周辺者への道徳的信頼は可能か?

・ブログが炎上したり、揶揄・中傷・暴言など、集合的ヒステリー状態に陥っている場合が多く、道徳的に信頼できない状態にあり、現状ではニセ科学批判が悪用されるおそれを捨て去ることができない。
・他者の思想や価値観が間違いであると躊躇なく否定するわけであるが、そこには異なる思想や価値観をもつ他者への配慮を欠いている。
・他者をばっさりと否定できるだけ自分が正しいと思い込んでおり、その正しさは絶対化されている。他者が間違いだと言い切ることができるのは、自己に自信があり、自己は間違わないという絶対主義の現れであり、そのことが科学に担保されていると考えると、完全な科学主義である。
・ニセ科学批判が趣味・嗜癖となっており、自己満足のために無駄な議論を続けているように思われ、公共の利益のためとは思えない。

 ニセ科学批判者にこのような印象を抱くブロガーも数多くおり、ニセ科学批判全体の印象を悪くしており、道徳的に信頼できず、ニセ科学批判が悪用される可能性を拭い捨てることができない。  特に、単にネットで議論に勝つ自己満足のためにニセ科学批判という道具をおもちゃにしている感じを受けてならない。

参考エントリー
ニセ科学批判の恣意的運用の危険性
  

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by merca | 2009-03-15 10:52 | ニセ科学批判批判
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