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実践理性の領域について

 神の存在や死後の世界などが科学の対象外であることは、ある意味、哲学では常識である。何でも科学の対象となると考える人は、一から哲学を勉強し直す必要がある。

 カント哲学では、理論理性と実践理性を区別し、その適用領域も限定されている。物理世界=経験世界は、理論理性で認識しうる因果法則が定立できる領域であり、それに対して、精神世界・倫理社会は、実践理性で意志することで成立つ領域であり、理論理性=科学の対象外であり、宗教・倫理学の領域だと考えられている。この区別によって、カントは、科学から信仰の領域を守ったとよくいわれている。カントのこの区別は、(自然/文化)、(物理的リアリティ/社会的リアリティ)などに受け継がれている。カントは、近代化による合理化・脱呪術化の流れから宗教やスピリチュアルを守ったのである。
 科学主義者やニセ科学批判者が、科学の立場つまり理論理性から、客観的事実でないとして、宗教やスピリチュアルを批判することは、カント哲学からすれば、実践理性が対象とする領域である精神世界への不当な侵入なのである。
  
 実践理性の領域は、因果図式の適用外であり、目的論・意味論の世界でもある。人間精神や社会の存在は、目的や意味によって構成されているのである。例えば、人間の行為は、目的-手段という図式で理解され、解釈される。同じく、社会も目的-手段という図式=機能主義的分析で観察され、解釈される。
 その意味で、社会学者ルーマンが意識システムや社会システムを意味システムとして観察したことは妥当なのである。意味システムは、物理システムと異なった次元で実在するのである。
 意味システムたる社会を因果図式で観察しようとする社会学者もいるが、当の因果図式そのものが意味システムによって二次的に構成されたものであることを忘れてはならない。人は、目的のために因果図式を手段として利用し、行為するからである。
 社会現象を因果図式で観察しようとする統計的手法は、限定的に慎重に扱わないと、社会の本質を捉え損うことになる。

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by merca | 2009-10-25 12:29 | 理論
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