社会科学的には、ニーチェの道徳分析=道徳のルサンチマン説は、端的に嘘である。嘘、すなわち物語である。ニーチェが自説を正当化するためにつくった物語にすぎない。
ニーチェは、弱者のルサンチマンによってキリスト教道徳=利他主義ができあがったと主張している。強者に虐げられている弱者が強者に悪のレッテルを張り、その反対である弱者が自らを善とすることで、強者から弱者が自己防衛するために善=利他主義が出来たという。 しかし、この説には全く実証的な根拠はない。なぜなら、弱者という対象に意識調査を実施していないからである。まず、弱者とは何かを概念規定し、その上で弱者たちの一部をサンプリングし、弱者の所有する道徳意識がどのようなものであるか意識調査することで、はじめて実証的に解明される。 そのような社会科学的な手続きを経ずに、ニーチェは西洋社会の道徳について弱者が強者にもつルサンチマンが起源であると断定する。このように社会科学的には全く根拠のない嘘であるニーチェの道徳論を思考を媒介とせずに、多くの若者たちや大学院の哲学科学生が支持しているのは誠に滑稽である!! 人間科学の立場からすると、一般に道徳の起源は、社会学における社会化理論(価値規範の内面化)やコールバーグの道徳性発達理論、フロイトのエディプスコンプレックス説によって説明される。 社会化の理論とは、人は他者と関わるなかで価値規範を身につけていくという説である。つまり、幼少時から親や学校や地域社会の人々とのコミュニケーションにおいて、道徳規範を学習し、取り入れていくというわけである。弱者だから道徳規範をもつのではなく、人との関わりで道徳規範を身につけていくわけである。そして、人々が共通の道徳規範を身につけることで、社会秩序が保たれると考える訳である。これは、社会学による道徳の起源の説明である。 当たり前の話しであるが、自分がなぜ道徳を身につけたのか振り返ってみると、親や教師や周囲の大人などからの影響であるとすぐにわかるのである。自分は弱者だから道徳意識を身につけたという人間はいないのである。このような社会学による説明は、自明すぎるが、誰にも当てはまる実証的なものである。 コールバーグの道徳性発達理論は、他者とのコミュニケーションを通じて具体的にどのように道徳規範を学習していくのか解明している。賞罰の意識から普遍的な善悪の意識が生ずる錬金術を見事に描いている。コールバーグの道徳性発達理論は、現実の人間の発達過程に対する臨床的観察から得た実証的なものである。まさしく、社会学における社会化理論の内実を補うものである。 精神分析学のエディプスコンプレックス説も、フロイトが臨床知から得た理論であり、神話を比喩として用いているが、極めて臨床的な実証知である。エディプスコンプレックスとは、子供が父親に母親を奪われるのを防ぐために、父親のように強くなろうとして、父親をモデルとすることで、道徳規範としての超自我を形成するという説である。フロイトが、多くの現実の患者の治療を通して発見した道徳の発生原理であり、物語ではない。 これらの人間科学の知見からすると、ニーチェの道徳論は幼稚すぎるのであり、実証主義社会学者コントに言わせれば、神話的段階の知識に相当するだろう。ニーチェのルサンチマン道徳論は、まさしく神話なのである。 さらに、知識社会学的にいうと、ニーチェのルサンチマン道徳論は、善悪の基準が絶対的に存在しないと考える思想つまりニヒリズムを正当化するための神話にしかすぎず、近代社会が生み出した一部の裕福な知識階級の子弟のイデオロギーにしかすぎない。つまり、全く実証的根拠を欠く自己のイデオロギーを正当化するための神話なのである。 このような神話を本気で支持する人たちは、自らの思想であるニヒリズムを正当化するために、ニーチェにかぶれているにすぎないのに、それに気づいていない。 大震災などの災害が起きた時に、助け合わなければならなという社会規範は強くなる。今、東北関東大震災によって多くの人々が被災しているが、このような危機場面においては、人々はかえって助け合い、利他的にふるまい、道徳意識が高まるのである。全国の人たちが助け合おうとしている。助け合うことは災害時規範と呼んでいいと思うが、阪神大震災の時も、被災者自らが利己的に振る舞わず、助け合い、神戸を復興させている。 このような事実を考えると、ニーチェの利他主義批判は全く的を射ていないわけである。ニーチェのいう弱者の道徳など全くの虚構であり、社会学的に利他主義は社会的人間の中に最初から埋め込まれている道徳原理なのである。 ニーチェ哲学では、人を助けたいという人たちの善なる心の本質を解明できないのである。ここでニーチェに心酔している知的な若者にはっきりと言いたい。 ニーチェを捨てよ!! 社会学をコツコツと勉強し、ボランティア意識を身につけなさいと。 人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。 人気blogランキングへ
by merca
| 2011-03-16 00:42
| 理論
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Comments(4)
ニーチェの論説に根拠は要らないのでは。何故ならその価値は相対的なものであり、意味をなさないから。同じ理由でフィールドワークによる実証も(彼には)必要ないかと思いますがいかがでしょうか。
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論宅です。
根拠がない論説は、根拠という他のものに依存していないので、絶対的です。ニーチェの論説は、根拠がないので、相対的ではなく、かえって絶対的です。その価値を相対化することはできません。 ちなみに、絶対主義も相対主義も、独我論を基礎にしており、いかなる価値も生み出すことはできません。ニーチェ哲学=独我論の反対は、一応、関係主義です。ニーチェはキリスト教を批判し、仏教に好意を示しましたが、ニーチェは独我論者なので、仏教の関係素主義たる縁起思想と全く正反対です。ニーチェは龍樹の中論などをきちんと勉強していないので、仏教の本質を捉えきれず、単なる無見に陥ってしまってます。 それと、社会科学からしたら、端的にニーチェの思想は嘘だということです。イデオロギー論的には、知的な相対主義の若者たちがニーチェの嘘を信じたい気持ちはわかりますが、現実に目覚める必要があると思います。でないと、ニーチェ主義者はニセ科学批判者に粉砕されます。
同じく、哲学者・永井均も完璧な独我論者であり、ニーチェと全く同じ過ちを犯しています。相対と絶対の捉え方の単なる些細な誤謬から独我論に陥っています。ある意味、このあやまりは素人でもわかります。
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