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精神医学はニセ科学か? 内海医師のニセ科学批判。

  ニセ科学とは、科学でないのに科学を装うことで、人を騙す学説や商品のことをいう。さらに、そのような学説や商品をニセ科学として摘発し、クレーム申し立てをすることをニセ科学批判と呼ぶ。ホメオパシー、マイナスイオン、水からの伝言、血液型性格判断などがニセ科学批判の対象とされ、ニセ科学批判運動が盛んにネット上を中心に行われてきた。そして、対抗レトリックとしてニセ科学批判批判も形成され、ネット議論を盛り上げてきた。
 ニセ科学批判はしばしば「水からの伝言」のような非科学と簡単に分かる対象を標的にばかりしているという批判を受けてきていたが、今回、それを覆すようなニセ科学批判が現れた。それが、医師内海聡氏による精神医学(特に薬物療法)に対するニセ科学批判である。同氏の著作「精神科医は今日も、やりたい放題」における精神医学に対する批判は、ニセ科学批判という言葉は使用していないものの、内容はニセ科学批判そのものだと言っても過言ではない。同氏は、精神医学を非科学と断定し、患者を薬漬けにして騙していると喝破している。もしかりに同氏のニセ科学批判が正しければ、大変なことになる。多くの精神病患者が科学の名のもとに騙され、迫害されて続けてきていたことになるからである。これは、ホメオパシーどころの被害の問題をはるかに越えおり、社会ぐるみの詐欺行為ということになる。同氏はこのような医学会を震撼させる爆弾を投げたわけであるが、なのにあまり流行っていないという現状がある。それに、ホメオパシー、マイナスイオン、水からの伝言、血液型性格判断などを批判してきたこれまでのニセ科学批判クラスタたちが、内海聡氏の精神医学に対するニセ科学批判に同調する兆しが全く見られない。重要なニセ科学批判であるにもかかわらず関心を示さないのはどうしたことかと思う次第である。非科学と一目瞭然であるホメオパシー医療は叩くが、精神医学は権威と伝統があるので怖くて叩かないということであろうか? ニセ科学批判に好意的な精神科医香山リカは、内海氏のニセ科学批判をどう思っているか知りたいくらいである。

 内海氏のニセ科学批判の要点は、精神の症状に対して科学的に精神疾患の原因が解明されていないにもかかわらず、脳内の異常として決めつけ、科学的に効果が実証されていない危険な薬物で治療しようとするところにある。例えば、うつ病の原因とされてきたセロトニン説は、実証されておらず、科学的事実ではないという。また、精神科医が異なると、同一の患者にも異なった診断名が下されることがあり、科学的ではなく、主観的判断によって病名がつけられているという。主観的判断で適当に病名をつけられ、それに見合った薬物の服薬を指示され、結局、製薬会社の利益になっているというわけである。さらに、家族と医者が組んで性格が偏った扱いにくい子供を閉鎖病棟に隔離する手段として、精神医学が利用されているという。また、明確な科学的根拠がないのに、多動性障害やアスペルガー症候群というレッテルを貼り、精神薬を投与し、その衝動性をコントロールし、社会適応させることはよくある。学校教育においても、多動性障害やアスペルガー症候群のレッテルを貼り、不適応児童を教育の現場から医学の現場の領域に排除していることもある。さらに、刑事政策においても、心神喪失者等医療観察法という制度があり、精神疾患のある犯罪者を刑事司法の領域から医療の領域に排除している。
 メンタルヘルスについても、うつ病は心の風邪というスローガンでうつ病患者を増やし、心療内科への敷居を低くし、投薬治療の機会が増え、製薬会社が儲かっているという。新型うつ病という病名を開発し、煩しい職場の対人関係から逃避するための疾病利得を簡単に得ることができるようになった。生活保護の受給理由として、うつ病のために稼働不可能とするのもよくある。
 
 内海氏の精神医学に対する批判は、単なるニセ科学批判にとどまらず、社会批判も射程に入れている。社会学的にいうと、精神医学は、社会の様々な分野において、一定の機能を有しており、今やその診断なしには社会は回らないほど多くの役割をになっている。このように社会の仕組みに深く食い込んでいるのは、精神医学が科学であるという前提があるからである。占いで大殺界だから休職したいというのは通らないが、精神科医にうつ病の診断をもらって休職するのは正当化される。究極的に、占いも精神医学も非科学として同一なのにである。精神医学が科学であると社会から認定されているからこそ、これらの社会的機能を発揮し、現代社会は回っている。もし科学でないことが事実であり、それが人口に膾炙すれば、社会はパニックに陥るであろう。原子力安全神話と同じ理屈である。
 精神医学が科学を装うことで、社会は回る側面はあるものの、精神薬大量処方問題などによって個人の人権が侵害されている問題は無視できない。うつになって医者にかかり、薬漬けになって調子が悪い人をよく見かけるのである。うつ病と自称する方のブログは溢れており、大量服薬の記述などをよく見かける。精神薬大量処方問題の被害者が声をあげているらしい。
 
 社会が既存の領域で処理できないノイズを全て精神医学の領域に委ねてしまっていないだろうか? 唯物論者が心霊現象や超能力などの超常現象を精神疾患として処理しようとするのと同様に、不適応児童、触法障害者、メンタルヘルス、生活保護の怠者などの社会的ノイズを全て精神医学に委ね、処理しているわけである。精神医学を純粋な科学として回復させるためには、社会の要望による精神医学の多機能化現象を食い止め、本来の姿に戻すべきかもしれない。
 その意味で。脳の異常に精神疾患の根拠を求める薬物療法ではなく、カウンセリング中心のフロイト学派の精神医学の復活を望むのである。現在、純粋にフロイトの精神療法に忠実な精神科医は日本にも少なく、異端視され、薬物治療派から排除されていると思われる。心の病を個人の意味世界及び環境世界の病として捉え返すことが必要なのである。
 
 次のような事例を考えてみよう。 
 会社が倒産し借金して失業した時に、気分が落ち込みうつ状況になった。心療内科を訪ねてうつ病と判断され、薬を投薬された。例えば、こんなケースなら、弁護士に相談して破産宣告をしたり、占い師に今は辛いが必ず将来は復活すると予言してもらったり、カウンセラーに話して気持ちをうけとめてもらったり、宗教に入信し価値観を変えるなどし、元気になって治るのではないかなと思う。極端な話し、宝くじがあたって一億円が入ってきたら、薬を飲まなくても、この人の落ち込み状態は治るのである。これは、意味世界の喪失に起因する気分の落ち込みなので、脳とは関係ないのである。
 また、職場の上司にいじめられてうつ状態になって会社を休み、死にたいと思い、心療内科を訪ねてうつ病と判断され、薬を投薬された。よくあるケースであるが、これについても、この職場の上司がいない職場を確保するか、もっとよい別の仕事に転職できれば、薬を飲まなくてもよいである。パワーハラスメントで上司を法的に訴えて慰謝料を請求したり、職業安定所の相談員に適職を紹介してもらえれば、治るのである。環境を変えるだけで、薬はいらない。これは社会環境の問題であり、脳の障害の問題ではないのである。
 要するに、これらの事例のように外的ストレスが原因で精神に異常を来している場合、免疫学的には原因となるストレス要因を除去することが解決となり、精神薬はなんら解決の策とはならないのである。すなわち、精神医学ではなく、法律学、社会学、心理学、経済学、場合によっては占いや宗教によって治る問題なのであり、それを精神疾患として扱うのはナンセンスであり、問題のすり替えにしかすぎない。
 このようなケースで精神科や心療内科を受診し、自己に精神疾患があると思い込み、薬物治療を受け続け、医者と製薬会社が儲かっているというわけである。
 また、怠け者やひきこもりが、精神科からうつ病や適応障害として認定されることで不就労の理由が正当化され、生活保護となって国家予算に負担をかけていないだろうか? 社会的に孤立化したメンヘル系の若者やホームレスに多いケースである。しかし、もし精神医学がニセ科学であると社会の多数が思い出したら、このような不正はまかり通らないことになるだろう。精神疾患による生活保護よりも就労支援による就職のほうが明らかに正しいのである。内海氏のニセ科学批判は、既存の精神科医だけではなく、さぼりのニセ弱者にとっても脅威なのである。
 私流に結論を言うと、多くのうつ病は、社会病理学や臨床社会学によって治るのである。臨床社会学士なる職種があれば、社会資源をコーディネイトして、社会学的処方箋を出すことができると思われるので、意味世界と生活環境の改善で治る落ち込みに関しては、任せてほしいくらいである。

 最後に、ニセ科学批判クラスタが内海氏のニセ科学批判に同調してこない理由がわからない。ニセ科学批判者のリーダーであるNATROM氏は医者であるが、精神医学をニセ科学と思わないのだろうか? 内海氏の精神医学批判は、内容が厳密に正しいかどうかは精神医学肯定派との論争を見てから判断すべきだと思うが、はじめて学会の権威に対抗した勇気あるニセ科学批判である言えよう。

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by merca | 2013-02-03 11:14 | ニセ科学批判批判
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