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国家主義(右翼)も戦後民主主義(左翼)も同じ。

 今や日本社会は二分されている。二つの思想にである。国家主義と戦後民主主義の二つにである。国家主義とは、国家の目的のために個人が存在するという価値観に準拠しており、個人や家族の命よりも国家の存亡のほうが大切だとする思想である。戦前は、その思想を強制され、戦争に駆り出され、多くの人々が命を失い、自分の家族も失った。
 戦後民主主義とは、そのような軍国主義的な国家主義に対する反省のもとに、反戦主義・平和主義を中心に社会の民主化を唱える思想である。戦後民主主義を植え付けられることによって、日本人は日本を侵略した敵国アメリカを恨むことなく、復興を遂げてきた。 アメリカによって真の自由がもたらされたと思ったわけである。このような戦後民主主義の思想は、朝日新聞等のマスコミや左翼政党に受け継がれた。そして、自らは代案を示すことなく、闇雲に時の政治体制を批判することを役割としてきた。政治・国家を批判することで、社会はよくなると考えていた。
 しかし、戦後民主主義は、現実を直視しない理想主義のために、小林よしのりなどの事実主義を標榜する右翼思想家や保守政治家たちに批判され、今や衰退している。戦後民主主義者や護憲論者の主張は、事実認識があまく、論理的ではなく、頼りないイメージがある。基本的にマルクス主義的な左翼発想に準拠しているので、非科学的であり、そこが限界であったと言わざるを得ない。戦後民主主義を基礎付ける社会理論が左翼系のマルクス主義ではなく、全く別の社会学理論であれば、戦後右翼の事実主義者たちに太刀打ちできたであろう。戦後民主主義=左翼が敗北した理由は、マルクス主義しか理論がなかったからである。社会理論の貧困である。マルクス主義とは無縁の社会理論を取り入れる知的才能がなかったのである。

 さて、国家主義(右翼)と戦後民主主義(左翼)は、前提を共有しており、同一だと人々は気づいていない。この盲点は、社会システム論のみが指摘できる。何が同一かというと、両者はともに政治主義であるということである。つまり、政治のあり方が変われば、社会が全て変わるという発想である。政治が社会をよくするという考えは、政治以外の社会の分野での活動を見えなくしている。いうまでもなく、人々は政治の中だけでは生きていない。
 最高の理論社会学的立場からいうと、後期近代社会においては、法システム、政治システム、経済システム、宗教システム、教育システム、科学システム、芸術システムなど、社会のそれぞれの分野が自律的に機能分化し、上下関係がなくなる。完全な成熟社会では、原理的に、一つのシステムは他のシステムに還元されず、支配されず、対等である。
 しかるに、国家主義も戦後民主主義も、政治システムが他の全てのシステムを統制する力をもつと考えている。確かに、戦前の軍国主義社会や共産主義社会では、政治システムが教育システムを支配し、国民を洗脳することがよくおこる。ある意味、中国社会や韓国社会も、戦前の日本軍国主義社会と同型の政治優先社会てあり、政治システムが教育システムを利用し、反日教育によって国民を統合しようとしている。しかし、社会進化論的には、このように一つのシステムが他のシステムを従属・支配するという構造の社会は、遅れているのである。また、社会病理学的には、社会構造にまつわる社会病理現象である。
 このように政治システムが他のシステムを従属させる社会病理現象を政治システムの中心化現象と呼ぼう。戦争がおこる条件の一つして、政治システムの中心化現象がある。例えば、経済システムを優先させれば、国家間の戦争は怒りにくくなるだろう。ある意味、政治に無関心な人々が多くいる社会ほど、成熟しており、平和である。
 経済システムにおいては、他国の会社との貿易なしには考えられず、多国籍企業も増えている。国家間の戦争は経済活動の妨げになる。科学システムは、既に国家の壁を越え、人類共通の知的財産の累積をつくりだしている。科学的知識の真理性は、国家によって左右されない独立性をもっており、科学には国境はない。また、宗教にも国境はなく、世界宗教は全世界に伝播している。教育においても、学校制度によって、組織(ゲゼルシャフト)への適応と科学的真理の伝授が行われている。法律においても、人権思想をベースに国際化してきている。人権に反する行為をした国家は国際的に弾劾される。各国の法律は、自由と平等という一つの方向性に収斂しつつある。芸術の分野では、日本のアニメも中国や韓国、そして全世界に受容されている。ディズニーはアメリカだが、全世界を相手にしている。政治システム以外の分野では、国境や政治的成果は二の次であり、異なる目標によって動いているのである。政治システムの目標とは関係なく、他のシステムは稼働しているのである。

 政治によって社会を変えようとするいかなる目論みも時代遅れである。政治主義を標榜する限り、国家主義も戦後民主主義も同じであり、限界がある。政治の口出しできない領域を確保していき、政治(あるいは国家)システムの肥大化を押さえることが、他のシステムを健全化させ、世界平和につながるのである。

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by merca | 2014-02-11 10:31 | 社会分析
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