「日本仏教はなぜ悟れないのか」という衝撃的なフレーズが帯に掲げられ、「仏教思想のゼロポイント」という書物が発売されている。大型新人哲学者の書物らしい。知識人にも受けがよく、よく売れているらしいので、購読してみた。
これは、仏教入門書というよりも、大乗仏教批判の書であることがわかった。私は、この書について、何が本来の仏教かどうかという視点よりも、論理的に正しいかどうかという側面で批評してみた。 これは、魚川佑司氏による独特の仏教解釈の書である。大胆にも、涅槃の境地について論理的に述べられている。注意したいのは、魚川氏自身が解脱し涅槃の境地たるゼロポイントに体感的に身をおいて悟りを開いているわけではないことである。つまり、宗教家のように、自らの涅槃に至る解脱体験から、涅槃=ゼロポイントの本質を論じているわけではない。 あくまでも、この書物は、仏典の解釈にしかすぎない。解脱体験者が書いたものではないので、ある種、説得力に欠くものの、論理構成は簡潔で、非常に分かりやすい。 分かりやすいだけに、疑問点が露骨にいくつも見受けられたので、それを指摘しておきたい。一言で言えば、魚川氏の仏教解釈における誤謬は、弁証法的思考の欠落である。仏教でよく言われる有無の二偏に囚われている思考のまま仏教を解釈している。 1 「無我だからこそ輪廻する」について 仏教は輪廻を唱えていないという学説があるが、魚川氏は仏教は輪廻を否定していないと解釈する。仏教が輪廻を否定しないというのは正しいが、その根拠となる論理が半分間違っている。 魚川氏によれば、無我だからこそ輪廻(変化)していくという。つまり、そもそも輪廻する主体が固定的な実体我であっては、所行無常は成り立たず、輪廻はありえないというわけである。仏教は実体我のみを否定しているのであって、変化する体験我は否定していないというのである。 しかし、輪廻するものは、完全に無我であっては輪廻しない。論理的には、無であるものは無のままであるからである。輪廻の主体が、実体我であっても完全な無我であっても、輪廻は成り立たない。 輪廻が成り立つためには、輪廻の主体が有無を離れた存在でなければならない。輪廻する我は、有でもなく、無でもなく、有無を合わせたものでもなく、また有無によらずしては成り立たない同時的弁証法的存在なのである。この論理は、龍樹の中論に説かれている。龍樹に比べると、魚川氏の仏教解釈はかなり浅いと言わざるを得ない。 2 仏教が世界について無記の態度をとる根拠について 「世界は常住か無常か、有限か無限か」については、仏教は無記の態度をとる。その根拠として、そもそも世界は人の煩悩によって構成された実体のない物語であることをあげている。 従って、物語としての世界について判断するのはナンセンスということになり、何も答えない、すなわち無記である他ないと主張するわけである。カントのように理性にとって世界が不可知だから、答えられないというのではなく、そもそも世界は煩悩によって構成された物語だというのである。 しかし、世界は誰か一人の煩悩によって構成されたものではなく、複数の他者との関係によって生成する。つまり、無数の存在の関係たる縁起の法こそ世界そのものである。華厳経でいう事々無碍法界こそが世界である。一つの存在が成り立つためには、無数の他の存在を必要とするような関係である。真なる世界とは、関係そのものであり、関係を否定することは縁起を否定することになってしまう。真なる縁起の世界は、不可思議故に、常住か無常か、有限か無限か、という思議を越えているから、無記の態度をとるというべきであろう。決して、世界が物語だからではない。 また、物語世界であれば一人の自我で自由自在に作りかえることができるが、縁起の法界は無数の他者との関係によって形成されており、一人の自我では到底自由に作り変えられない世界なのである。世界は、その都度、状態は変化はするが、物語ではないのである。魚川氏の仏教解釈には、世界における他者性が欠落しているのである。 3 「本来性」と「現実性」の二元論について 魚川氏は、煩悩によって構成された物語の世界と、煩悩を離れた構成されざる無為の境地である涅槃を分け、仏教が目指す涅槃こそ本来性であるという。すなわち、不生不滅の無為の世界としての本来性と、生成消滅する有為の世界としての現実性の二元論を唱える。これは、西洋哲学における本質と現象という二元コードと同じである。 しかるに、このような二項対立図式は、簡単に脱構築されてしまう。物語世界を否定することで涅槃に至るのなら、かえって物語世界に涅槃が依存してしまうことになるからである。 そして、論理的には物語世界を否定しても肯定しても、本来性は矛盾を抱えて成り立たなくなってしまう。本来性は現実性を離れてはなく、現実性も本来性を離れてない。この二つは世界の二側面であり、弁証法的に止揚される。大乗仏教でいうところの生死即涅槃、煩悩即菩提という弁証法的論理によって脱構築されてしまうことになる。物語世界に相対することで、涅槃も絶対化できなくなってしまうわけである。涅槃という片方の項の優越性、根源性を主張する魚川氏の二元論の論理では、涅槃が絶対化、実体化されると同時に、逆に劣位の項である現実性に依存することになり、矛盾を抱えって成り立たなくなるのである。 また、涅槃を目指すこと、すなわち一切の煩悩を断つことも、一つの欲=自己愛であり、それ自体一つの煩悩である。その最後の煩悩を捨てるには、利他業=他者愛を組み込むしかない。いわゆる菩薩道である。システム論的に言うと、涅槃を目指すこともそれ自体一つの欲であるという解脱における自己言及のパラドックスについて、(利他/利己)という区別で脱パラドックス化したのが、大乗仏教の菩薩道なのである。 この点における仏教の進化について、当書を推薦している宮崎哲弥も鈍感なのかもしれない。大乗仏教革命における仏教の脱バラドックス化の意味について、魚川氏は理解していない。真実には、菩薩道を経由することなしに、真なる解脱・涅槃はあり得ないのである。これが、致命的な魚川氏の誤謬あり、同時に小乗仏教の限界でもある。 ともあれ、これは、論理上における本質的な構成主義の難点でもある。(本来性/現実性)というコードに基づいて観察する限り、仏教は単なる心理構成主義ということになってしまう。そして、本来性に基づいて、現実性たる物語世界を相対化し、無限定に現実世界を肯定する立場に行き着くことになる。現実世界は、全て虚構だから、どれを選択しても自由だということになり、結局、何も選択できないニヒリズムに陥る。 惜しいことは、仏教思想が極めて単純で浅薄な教えとなってしまっている。しかし、魚川氏の観察は、小乗仏教の観察だから仕方ないと言える。結局、ゼロポイントからニヒリズムに行き着くことになるだろう。 ここで、大乗的観点から、ゼロポイントを再解釈しておこう。 真なるゼロポイントは、単なるゼロではなく、プラスとマイナスの逆方向のベクトルが存在することで、力が相殺されて、ゼロとなる均衡点をいう。 プラスとしての現実性とマイナスとしての本来性が二つあってゼロになっているのである。本来性だけを否定すると、ゼロではなくなり、現実性が実体化されてしまう。逆に現実性だけを否定すると、ゼロではなくなり、本来性が実体化されてしまう。涅槃の実体化である。従って、対等に本来性と現実性が統合された時に、力のバランスがとれ、真なるゼロポイントが出現するのである。 それが二偏を双照する中道第一義諦たる龍樹の中観思想なのである。 龍樹のように (本来性/現実性)というコードそのものを脱構築した大乗仏教の方が、やはり思想としては優れていると言わざるを得ない。 参考 知性発展段階説 http://mercamun.exblog.jp/13926104/ 人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。 人気blogランキングへ
by merca
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