民主主義が平和的に機能する前提 自分の正義が他者を苦しめていることがわかる感性

 この地球上には、未だに全体主義社会が存在する。民主主義によって世界は覆われていない。
 社会思想家である故西部邁氏は、民主主義が社会で機能するためには、成熟した民衆の存在が必要だと唱える。それでは、成熟した民衆とは一体何なのか?
 
 それは、社会学者宮台真司氏のいう成熟社会=ポストモダン社会の意識をもつ民衆だろうか。ポストモダン社会においては、底が抜けていると自覚しつつも、底があるかのように振る舞うことが不可欠であるという意識が人々に共有されてくるという。このような意識を再帰性という。宮台氏はこれを「普遍主義の不可能性と不可避性」と表現している。つまり、全ての前提には絶対的・究極的な根拠はないが、それを意識化した上で、あえて物事を選択し、善悪と真理の物語を構築することが必要であるという意識である。このような相対主義者こそが成熟した民衆なのだろうか?
 故西部氏は、単純な相対主義を強烈に批判して来た。だが、宮台氏のいうポストモダン社会の相対主義は単純な相対主義ではない。自らも相対化する相対主義である。それは、民主主義が絶対的でないと知っている人たちである。民主主義が独裁者による全体主義社会を生み出した歴史的事実を自覚している民衆である。民衆が独裁者の専制を選択したらどうなるのか? 民主主義は自らによって否定の道をたどる。成熟した民衆とは、このようなパラドクスを自覚し、民主主義を絶対化しない社会学的啓蒙を受けた民衆である。
 
 しかし、社会学的啓蒙だけでは、民主主義を可能にする成熟した民衆とはなり得ない。
 決定的に、ある一つの人間的感性が必要である。それは、他者性の尊重(他者愛)である。簡単にいうと、自分(たち)の正義が他者を苦しめている可能性があることがわかる感性である。
 このような感性は、社会学的啓蒙だけでは、不十分である。それは、コミュニケーションの外からもたらされる哲学的真理だからである。本当に、民主主義を担える民衆とは、どんな正しさであっても、それが本当に正しいかどうかとは別次元の問題として、正義が一つの暴力であることを知っている人たちである。そのような感性の持ち主こそが民主主義を担う成熟した民衆である。

 この感性がなければ、決して民主主義は平和的に機能しないだろう。平和的に機能しない民主主義は、容易に独裁者を生み出し、自己破壊の道をたどる。自分が唱えて来た正義や道徳がどれだけ人を傷つけてきたかわかっていない人物が民主主義や平和を語る権利はない。今、そのような人物が増えていないだろうか? 社会学的には、正義こそが、いじめ、差別、迫害、排除、ハラスメントの真なる犯人である。(道徳的排除)
  
 自分たちの正義が人を苦しめていることを悟り、それを恥じよう。
 「愛のない正義」を唱える為政者や政治家たちが、戦争を起こさないように。

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by merca | 2018-02-17 10:29 | 社会分析 | Comments(0)
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