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科学者の科学観批判

 科学は反証可能で価値中立的な知識であり、イデオロギーではないと考える自然科学者たちがいるが、そういう人たちはイデオロギー論の本質を何ら理解していない。というよりか、社会科学の素養がない人たちである。
 
 近代社会という意味地平における(科学者/非科学者)という区別に基づき、科学は反証可能で価値中立的な知識でありイデオロギーではないという思想に対して、システム論的脱構築をしたい。
 
 真理であれ、真理でなかれ、絶対的であれ、相対的であれ、その知識体系が一つの社会で重要視され、その社会に属する多くの人々が思考を媒介とせず、その知識を信じている場合、それをイデオロギーという。近代社会で科学というだけで人々がそれを信じたら、それはイデオロギーとして機能しているのである。科学的知識は、科学者にとっては、検証対象であり、イデオロギーではなくても、検証手段をもたない多くの非科学者たる一般人にとっては信仰の対象であり、イデオロギーなのである。
 科学的知識は、科学者という観察者と、非科学者たる一般人という観察者とでは、意味=機能は異なり、その利用方法も異なるのである。科学が科学者にとってイデオロギーでなくても、非科学者たる一般人にとっては信仰として機能し、生活世界にかかるリアリティの最終的拠り所となり、社会の混乱を防ぐことができるのである。

 科学は反証可能で価値中立的な知識でありイデオロギーではない、という思想は、それ自体科学者という観察点から観察した科学的知識に対する価値解釈、つまりイデオロギーなのである。また、科学的知識は絶対的であるという思想は、近代社会に属する非科学者たる一般人という観察点から観察した価値解釈、つまりイデオロギーである。

 自らがイデオロギーであると認識できた知識や理論のみが、イデオロギー論を相対化できるのである。システム論的にいうと、観察対象の中に自らも含むことができる理論知、つまり自己言及的理論のみが絶対的かつ普遍的真理となる資格があるのである。当ブログの「社会学を社会学する」というスローガンはその意味である。

 これからも、システム論における区別に基づく観察によって、近代社会に徘徊する知識の化物たちを退治していきたい。

 
 
by merca | 2007-07-29 09:09 | 理論
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