血液型性格判断は、はなから私は科学だとは認識してなかった。占いの類いであると思っていた。わざわざ、ニセ科学のレッテルを張るまでもないと思っていた。
しかし、何の科学的根拠もなしに血液型性格判断をニセ科学と判断するのも、逆に非科学的態度であるかもしれない。 ポパーの反証可能性からすると、一応、血液型性格判断は、反証可能な命題で構成されているので、おそらく誰かが反証したということか? というよりか、例えば「A型は几帳面」という命題に対して、1人でもそうでないA型の人がおれば、反証されたことになる。血液型性格判断は正しい科学的真理でない。しかし、ポパーの説からすると、誤りであっても反証できるという手続きにのっかかるので、間違いではあるけれども、科学的命題であることになっしまう。それはさておき、自然科学の場合、「全ての何々は何々である」という全称命題のみが真理として認定されている。一つでも例外があり、その例外が生じた理由が科学的に説明不可能なら真理でないとして却下される。 血液型性格判断は、「A型は几帳面」「B型は個性が強い」「O型は社交的」「AB型は天才肌」というような命題であると思うが、このような命題がすぐに思い浮かんだ。それほどまでに人口にかいしゃしてしまっている。このことの意味は社会的リアリティの面からは大きい。血液型性格判断から自他を判断する人たちが多くいると、本当にそのようになってしまうおそれがある。例えば、血液型性格判断を信じる多数の人々からA型の人が几帳面だと言われると、本当に几帳面になる。自己概念は他者評価によって形成されるからである。他者からの評価を自己概念として内面化してしまうわけである。その自己概念が役割規範化し、他者の期待に外れないように本当に几帳面な行動をとり、社会的現実となる。(予言の自己成就) 場合によったら、血液型性格判断の命題群は、ほとんどの人々が血液型性格判断を信じている社会において、社会統計調査をし、血液型別に性格をたずねてみたら、統計的に有為な差がでて、社会科学的に真実であるという結論になる可能性もある。(もちろん、自然科学的基準では、1人でもそうでないケースがあれば却下されるが。) ジェンダーの場合もそうであり、十分に近代化されていない社会で、「男性よりも女性のほうがか弱い」という社会意識調査を実施すれば、統計的に有為な差が出て、「男性よりも女性のほうがか弱い」が真理であるという結論になりかねない。 このように社会的リアリティとしては真であるが、物理的リアリティとしては偽であるという事態も生ずることがある。(物理的リアリテとして真であるためには、血液型の遺伝子と性格の因果関係を実証する必要がある。) ニセ科学(物語)が社会的リアリティをつくるという現象は起こりうるが、その歯止めとして物理的リアリティに基づく思考も必要である。(社会的/物理的)という区別による観察でもって、社会的リアリティの暴走を食い止めることもできるのである。その際、科学が手続きに偏ると、物理的リアリティが結局は社会的リアリティに取り込まれることになってしまうわけである。 手続きの正当性のみで判断すると、漢方医学は全てニセ科学になってしまうおそれがある。薬草Aが解熱効能があり、「生活の智恵」として伝統的に知られており、その効能が科学の手続きによって解明されないとダメであるというのならニセ科学になる。しかし、あとで科学的にもある成分が解熱に効くということが実証されたら、科学的知識となる。薬草Aが解熱剤になるという漢方医学の命題は科学的真理となる。科学的真理は、必ずしも手続きのみが保証するわけでない。科学的手続き以外で得た知識を排除する手続き絶対主義は、かえって物理的リアリティの源である自然を冒涜することになる。科学的手続きの基準が複数あるということ自体が、一つの基準だけでは、複雑な自然に対処できないことの現れである。 ある一つの命題について、特定の科学的手続きに合致しないだけで、科学的に命題の内実を吟味・検証することになしに、排除するのならば、科学者集団のレッテル貼り=魔女狩り行為に下落してしまう。レイべリング作用とは、社会的に専門的権威が下す判断であり、社会的リアリティに基づく。私も、今回の議論において、疑似科学批判者がそのような立場でないことは理解している。 グレーゾーンの命題はニセ科学のレッテルをすぐに貼らず、後の研究のためにグレーゾーンのまま残しておくことが自然に対する敬意となる。早急な二分法に基づき、グレーゾーンを排除してしまうことは、物理的リアリティの放棄となっしまう。 ニセ科学診断については、白、灰色、黒に分け、連続的に対処するのが現実的かと思う。
by merca
| 2007-08-25 10:07
| ニセ科学批判批判
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