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「社会学入門一歩前」書評

  社会学者・若林幹夫が「社会学入門一歩前」という本を出した。
  
 これは入門書かもしれないが、それ故、基礎的な社会学の知識を身に付けていないと、書けない書物である。
 社会学者の科学観について述べられているページがあった。概ね社会者たちは同氏と同じような科学観(イデオロギー論的観点)をもち、その観点から科学を観察する。
 
 「科学から魔術へ」という章が面白い。
   
 基本的に人々が科学を受け入れる理由は合理的な理由からであると説明される。大衆は科学を理解していないけれども信じるわけであるが、その理由はそうすることが合理的であるからであるという。つまり、思考のコストを削減し、信頼したほうが明らかに手間がかからず、生活上の目標を達成できるというわけである。
 例えば、掃除機を使用するのに掃除機の原理を分析してから掃除機を使用するのなら、何日たっても掃除ができないことになる。掃除機という科学技術を信頼したほうが、生活者にとっては合理的である。このことについては、私も当ブログで書いた。システム合理性である。機能分化した社会では、それぞれの専門家を信頼することで社会は順調に回るという社会原理である。科学者も専門家の一人である。
 ただ、ここがポイントであるが、専門外のことついては信頼されない。あの世のこと、葬式のことなどに関しては、僧侶などが信頼されることになる。もし科学者があの世は存在しないので葬式もする必要がないと、僧侶にくってかかると、社会は回らなくなる。システム合理性の観点からは、システム障害となる。

 同氏によれば、科学は宗教より無知であるという。
 
 科学者は、対象と認識の一致という真理観で観察しうる世界(物理世界)のみを扱うことができるわけであり、それ以外の世界については無知である。科学が処理不可能な世界のほうが多く、そのような世界は宗教やスピリチュアルで扱われる。そのような世界=精神世界あるいは物語世界に対象と認識の一致という科学的真理観を持ち込むのは間違いである。
 
 この問題も、当ブログで社会的リアリティと物理的リアリティの区別ということで、論じてきた問題である。水伝がこの区別を混同しているところに問題があると指摘したばかりである。社会学は、科学と宗教(スピリチュアル)の住み分けによる平和協定と共存共生を目指している。この平和協定を破るおそれがあるのが水伝ということになる。あるいは、逆向きの方向として科学者による無分別な文化破壊も同じである。


 参考・・・同書物では、科学の基準として反証主義と規約主義が取り上げられていたが、ベイズ主義のような複雑な科学の基準については立ち入ってなかった。社会学者も古典的科学哲学だけでなく、早くベイズ主義などを勉強しないと、科学を本格的に観察できないと感じた。
 
by merca | 2007-09-17 10:58 | 社会分析
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