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ソシュール批判(素朴実在論の復権)


 実に多くの哲学者や現代思想家がソシュールの言語学に騙されてきた。名称の恣意性は認めるが、言語つまり概念が差異の体系からなるというのは、誤謬である。この誤謬のために、多くの思想家が勘違いの上に理論を構築してしまっている。その典型が構造構成主義である。

 例えば、ソシュールの言語論からすると、犬という概念は、犬とは異なる動物との差異によって規定され、意味をもつと考えられる。一つの概念は、それと異なる概念との差異によって意味が生成すると考えられている。
 ところが、実際にはどうだろうか?犬という概念を子供が身につけるために、犬以外の動物をいくら教えたところでダメである。ブタや象を見せて、これは犬でないと指し示しても無駄であり、犬を見せて犬と呼んで指し示すことをしない限り、犬という言葉=概念は学習することができない。また、カレーライスという食べ物を知るために、いくらカレーライス以外の食べ物を食べても、カレーライスを知ることはできない。カレーライスを一度食べるだけで、子供はカレーライスの味を知り、カレーライスという食べ物を知ることになる。犬もカレーライスという概念も、それ以外のものとの差異から知るのではなく、そのものを見たり触れたりすることで知るのである。差異、つまりこれは犬ではない、これはカレーライスではないという操作をいくら繰返しても、その言葉をおぼえることはできないのである。
 Aは、非Aとの差異からは意味を獲得することはできないのである。Aでないものをいくら指し示しても、Aという意味は生成しない。Aを直接指し示すことでAはAとして意味を生成する。Aは、Aでないものの否定であるというヘーゲルの論理も誤謬である。この誤謬に基づいて議論している哲学者はやたら多い。
 
 人間は、差異(否定)から意味を把握するのではなく、具体的個物に宿る同一性から意味を把握するのである。つまり、例に即して言うと、複数の犬を見せること、複数のカレーライスを食べることで、言葉を獲得するのである。その言葉で指し示される複数の具体的個物を見ることなしには、言葉の把握はあり得ない。この事実から、ポストモダン思想に否定され続けてきた素朴実在論の真理性が復活する。概念は、単なる人間の認識道具や差異の体系ではなく、客観的に具体的個物=対象に宿る属性であるという考えが正しいということである。構造構成主義の間違いは、言葉は人々に共通する単なる認識構造だという前提にたち、対象に内在し実在する属性を完全否定しているところである。しかし、見ての通り、人間が言葉を学習する過程を考察すれば、明らかに素朴実在論のほうが正しいことがわかる。
 
 認識の原因は外部の対象にあるという当たり前の前提=物理的リアリティを捨てさることはできないのである。

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by merca | 2008-05-08 00:36 | 理論
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