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2007年 07月 29日 ( 2 )

科学者の科学観批判

 科学は反証可能で価値中立的な知識であり、イデオロギーではないと考える自然科学者たちがいるが、そういう人たちはイデオロギー論の本質を何ら理解していない。というよりか、社会科学の素養がない人たちである。
 
 近代社会という意味地平における(科学者/非科学者)という区別に基づき、科学は反証可能で価値中立的な知識でありイデオロギーではないという思想に対して、システム論的脱構築をしたい。
 
 真理であれ、真理でなかれ、絶対的であれ、相対的であれ、その知識体系が一つの社会で重要視され、その社会に属する多くの人々が思考を媒介とせず、その知識を信じている場合、それをイデオロギーという。近代社会で科学というだけで人々がそれを信じたら、それはイデオロギーとして機能しているのである。科学的知識は、科学者にとっては、検証対象であり、イデオロギーではなくても、検証手段をもたない多くの非科学者たる一般人にとっては信仰の対象であり、イデオロギーなのである。
 科学的知識は、科学者という観察者と、非科学者たる一般人という観察者とでは、意味=機能は異なり、その利用方法も異なるのである。科学が科学者にとってイデオロギーでなくても、非科学者たる一般人にとっては信仰として機能し、生活世界にかかるリアリティの最終的拠り所となり、社会の混乱を防ぐことができるのである。

 科学は反証可能で価値中立的な知識でありイデオロギーではない、という思想は、それ自体科学者という観察点から観察した科学的知識に対する価値解釈、つまりイデオロギーなのである。また、科学的知識は絶対的であるという思想は、近代社会に属する非科学者たる一般人という観察点から観察した価値解釈、つまりイデオロギーである。

 自らがイデオロギーであると認識できた知識や理論のみが、イデオロギー論を相対化できるのである。システム論的にいうと、観察対象の中に自らも含むことができる理論知、つまり自己言及的理論のみが絶対的かつ普遍的真理となる資格があるのである。当ブログの「社会学を社会学する」というスローガンはその意味である。

 これからも、システム論における区別に基づく観察によって、近代社会に徘徊する知識の化物たちを退治していきたい。

 
 
by merca | 2007-07-29 09:09 | 理論 | Trackback | Comments(2)

脱社会的存在の自己矛盾

  人は道徳の外に出ることはできても,倫理の外にでることはできない。
 
 社会学者・宮台真司は、人と物の区別がつかず,人殺しに何の罪悪感や嫌悪感も抱かない感性をもつ人間を脱社会的存在と呼ぶ。宮台氏の成熟社会論(少年の怪物化神話)によれば、今このような少年たちが増えているという。人を殺しても何の罪悪感も彼らには無い。脱社会的人間は,社会における他者からの承認をすでに放棄しており,社会とは離れたところに自我を確立しようとする。従って,彼らにとっては社会に住む人間たちは全て物同然で無意味であるのだ。ところが,人と人の関係は本来どのような関係であれ,基本的に相互承認を基礎としている。つまり,自由意志(他者性)をもった存在どおしの関わりである。  
しかるに,彼らは,かような倫理的関係として,現実の日常世界の対人関係を認識しえない。本来は,自我は倫理的関係においてはじめて自我たりうるのであるが,少年たちはいじめや競争に彩られた現実の社会関係の中にそれを見出すことができず,それを社会の外に求めようとする。言い換えれば,社会の中では人間でいることができず,自身の自我を安定させることが困難なために,社会から脱したところで自我の安定を図り人間たろうとする。しかし,悲しいことかな,その試みは必然的に他殺か自殺しかもたらさず,決して自我の安定は図れず、破滅の道以外残されていない。
 なぜなら,人倫社会を離れて真の倫理的関係はないからである。自由意志をもった別の存在と関わることなしに,原理的に人間としての自我は確立できないのである。自己以外の自我つまり他者と関わらない自我は,全て独我であり,自己崩壊することは目に見えている。他者を物のように扱い手段化する自我は,他者も自分の一部として統合しようとする貪欲な独我である。また,他者とバラバラに無関係でいうようとする孤独な自我も独我である。結局,他者との同一化も差異化も独我をもたらす。従って,関係性(同一化と差異化の止揚)を基礎とする人倫社会を否定したいかなる自我定立の試みも失敗する。脱社会化した少年たちに戻るよう呼びかけること自体が,これまた1つの倫理的関係である。結局,共同体の外に出ることはできても,倫理という無限世界からいかなる人間も出ることはできない。なぜなら,倫理とは人間にとって人間である限りの宇宙そのものであるからである。
by merca | 2007-07-29 08:09 | 社会分析 | Trackback(1) | Comments(0)